2015年11月1日日曜日

過剰人口の日本(3):「このままでは日本人が「絶滅」する?」というウソ、過剰人口のもたらす死に方

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 「増え過ぎたものは減る」
という当たり前な自然法則の減る部分の極めて短い期間をとって、それを拡大解釈するという間違いに完全に落ち込んでしまっている。


2015年10月31日 東洋経済オンライン 佐々木 恵美 :フリーライター・エディター
http://toyokeizai.net/articles/-/89517

日本人はいま、絶滅の危機にさらされている
不妊治療の現場で30年、ベテラン医師の見解

30年以上不妊治療の現場で活躍する詠田医師に話を聞きました。
「西暦2500年、日本の総人口は1000人を切るという説があります」。
そう語るのは、福岡にあるアイブイエフ詠田クリニックの詠田由美院長。
日本の不妊治療を黎明期からリードし、アメリカ生殖医学会において日本人女性で初めて座長になった人物だ。

30年以上にわたり不妊治療の最前線で活動してきた詠田先生に、冒頭の衝撃的な発言の根拠や、少子化の現状などについて話を聞いた。


■このままでは日本人が「絶滅」する?

――西暦2500年に日本の人口は1000人を切ると聞き、大変ショックを受けました。

産婦人科医の間では、以前から講演などで語られている話なんですよ。
このままのペースで少子化が進めば、西暦2500年に日本の人口は1000人を切る。
こうなれば日本人は希少種となり、やがて絶滅する可能性も否定できません。

――その根拠や背景を教えてください。

国勢調査などのデータをもとに人口と出生率から算出されるもので、いくつかの推計があります。
そのひとつで最悪のケースとして考えられるのが「2500年に1000人を切る」という説です。

ほかにも、国立社会保障・人口問題研究所は、2010年国勢調査等に基づき全国将来人口推計を行っています。
これによると、日本の人口は2010年1億2806万人から、2048年には1億人を割り、2060年には8674万人になると。
つまり今後50年間で人口が32%ほど減少する計算です。

人口減少の要因は、大きな社会問題となっている少子化。
1人の女性が生涯に産む子どもの推定人数を示す合計特殊出生率という指標があり、男女2人から生まれる子どもが約2人なら人口は横ばいですが、日本では1975年に2を割り、ここ数年は1.4前後で推移しています。

あわせて人口動態調査をみると、1974年に日本で生まれた子は200万人以上でしたが、2014年は100万人ほど。
この40年で半減しており、さらに2050年には50万人になると予想されています。
(参考データ:全国将来人口推計、合計特殊出生率、合計特殊出生率推移、人口動態調査)

――詠田先生は30年以上不妊治療に関わり、1999年に開院されたとのこと。患者さんに変化はありますか?

開業したばかりの頃は、結婚から2~3年で子どもができないと悩む20代の患者さんの来院が大半でした。
しかし、2000年半ばから結婚後も働き続けている30代の方が多くなり、今は40代の方も来られます。
明らかに年齢層が上がっていますね。

――女性は年齢を重ねると妊娠しにくくなると聞きますが、実際はどのような意識を持っておくべきでしょう?

女性の体内には、生まれる前から多くの卵子があり、その後に新しく作られることはありません。
初経から排卵が始まり、排卵する卵子がなくなる日を閉経といい、閉経を迎えると妊娠できません。
平均的な初経年齢は12歳、閉経は50歳です。

では閉経まで妊娠できるかというと、そうではない。
長い間、体内にいた卵子は老化しており、32歳から妊娠率が落ちます。
35歳以上で出産する人は高齢出産(いわゆるマル高)とされ、全体の1割ほど。
そのあたりから染色体異常の率も増加します。

さらに37歳からは染色体異常に起因した流産率がぐんと上がり、妊娠しても出産まで至らないケースが増加します。
産婦人科としてお伝えする妊娠のリミットは37歳。
43歳以上になると、まず妊娠は難しいと考えたほうがいいでしょう。
女性の体は何百年も変わっていない

――最近は40歳代で出産したという芸能人がいて、40代でも簡単に妊娠できるという誤解が広まっているように感じます。

仕事や趣味を優先して、結婚や出産を後回しにしているうちに30代後半に。
それからいざ子どもを望んでも妊娠できずに、慌てて来院されるケースが増えています。
若いうちから正しい知識を持つことが重要です。

――不妊症患者が増えているということは、女性の体が変わってきたということでしょうか?

いえ、女性の体は何百年も変わっていません。
変わったのは、初経の年齢が16歳から12歳に早まったことくらい。

西暦1000年頃に書かれた「源氏物語」でも、大奥のあった江戸時代1600年代でも、様々な書物から女性の出産について30代以降は危険が伴うものとされ、閉経は50歳頃と記されています。
もちろん昔は平均寿命が短く、閉経前に生涯を終える人も多かったのですが。

――ということは、不妊が増えている原因は、単に妊娠を望む女性の年齢が上がっているからということでしょうか?

そうです。
だからこそ、妊娠可能な年齢について、もっときちんと知らせていく必要があります。
ストレスは直接の原因にはならない

――ストレスが原因で妊娠しにくいというのはあるのでしょうか?

もちろん、ストレスが何らかの体調不良を引き起こすことはあります。
また、仕事のストレスで疲れ果てて、性行為自体が減ってしまうことも不妊の原因として考えられるでしょう。

しかし、ストレスが直接不妊の原因になるわけではありません。
過酷な生活を強いられた戦時中でも、女性は妊娠していたのですから。
生物学的に見ると、むしろそのような生命としての危機感が高まったときほど、妊娠率が高いという見方もあります。

――ちなみに、男性も加齢とともに生殖力が低下するのでしょうか?

確かに男性も40代から妊娠率が少し下がります。
しかし、精子はさほど劣化せずになくならないため、現代の生殖医療の技術を使えば、どんな人でも精子さえあれば一生子どもを作ることができます。
それが女性と男性の大きな違いです。

――私たちはもっと自分の体について知る必要がありますね。

そうです、若いうちから正しい知識を身につけておくことが重要です。
そうしなければ不妊で苦しむ人が増え、日本の少子化にも歯止めがかかりません。
そして、いずれ日本人が絶滅するというシナリオが現実のものになるかもしれないのです。

マスコミでも教育の場においても、もっともっときちんとした情報を広めてほしいと願っています。



ダイヤモンドオンライン 2015年11月3日 和泉虎太郎 [ノンフィクションライター]
http://diamond.jp/articles/-/80998

栄養失調による死者数は殺人被害者の4倍!
統計から読み解く「日本人の死に方」


●納得の死もあれば、意外な死も。統計から透けて見える日本人の死に様とは


 水戸市と同規模の人口が消える一方、50歳以上の初産が41人いた2014年の日本。
 溺死はなぜ冬に集中発生し、
 首都圏では病院で死ぬ人の割合がなぜ少ないのか。
 2014年の人口動態統計から、驚きの「日本人の死に方」を考察してみよう。

■毎年、水戸市と同規模の人口が消え、
25秒に1人が亡くなる日本

 厚生労働省が発表する重要な統計の1つに人口動態統計がある。
 人口の動態、つまりは人口が増えたり減ったりするその数値と、増減の原因を調べたものだ。

 詳細な報告書は来年春に刊行されるが、9月初旬にホームページで調査の確報値が公開された。
 ここから、人口が減る、すなわち日本人の死がいかなる現状なのかを読み取ってみよう。



 昨年死亡した人は127万3004人。
 死因別では悪性新生物(がん)がトップ36万8103人だった。

 一方、出生数は100万3539人で自然増減数は26万9465人の減。
 毎年、水戸市、徳島市、福井市と同じくらいの人口が消えていることになる。

 ご丁寧なことに25秒に1人が亡くなっているという試算も付けられている(ちなみに、出生は31秒、婚姻は49秒、離婚は2分22秒に1件としている)。


死因の上位はトップの悪性新生物に次いで心疾患19万6926人、肺炎11万9650人、脳血管疾患11万4207人と続く

 その悪性新生物の発生場所であるが、最も多いのは「気管、気管支及び肺」の7万3396人、次いで「胃」4万7903人、「結腸」の3万3297人。

 性に特有の新生物としては男性の「前立腺」が1万1507人、女性は「子宮」が6429人、「卵巣」が4840人である。
 しかし「乳房」は男性の死亡者も83人いる(女性は1万3323人)ことが興味深い。

 少ない死因にも目を向けていこう。
 目及び付属器の疾患による死者は3人、耳及び乳様突起の疾患が12人。
 慢性副鼻腔炎(いわゆる蓄膿症)22人。
 歯肉炎と歯周病6人でう蝕(いわゆる虫歯)1人。
 顔の器官で死ぬ人はほとんどいないようだ。

 感染症では、かつて世界中で多くの人を死に至らしめた腸チフス(1947年には936人)、赤痢はゼロ(同7765人)、梅毒は18人(同5501人)。
 アルコール(による精神及び行動の障害、以下同)325人、アヘン、大麻、コカイン、タバコはゼロだが、揮発性溶剤は1人。
 ヘビ毒によるもの5人、ハチ14人、ムカデ1人、落雷2人。
 いろんな意味で、日本はずいぶんと安全になった。

 こんな死因もある。
 栄養失調は1697人で、逆の肥満と過剰摂食64人。
 日射病熱射病が555人に対して低体温症は826人。

■出産の母体の安全性は50倍以上に向上
50歳以上の初産は41人!

 長期間でデータを概観すると、まず特徴的なのは、乳児の死亡数の変化である。
 医療技術の進歩、衛生の徹底などで1歳未満の乳幼児死亡数はベビーブームのピークだった1947年の20万5360人(出生数は267万8792人)から2080人(同100万3539人)まで減少した。
 出生数の減少に鑑みても40分の1近くまで減少している計算だ。

 これと同じくして出産および出産後(産褥期、いわゆる産後の肥立ち)の死亡者数は33人。
 1947年まで遡ると、この数字は4601人である。
 出生数の減少を加味した安全性は50倍以上に高まっており、出産が大事業であることに変わりはないが、改善は著しいといえる。

 この出生に関しては、もうひとつ、驚くべき数字がある。
 50歳以上で「超高齢」出産した女性の数だ。



 出産数がピークの年となった1947年に450人いた50歳代出産者(さらに驚くことに、そのうち55歳以上が79人いる)は、その後、減り続けて89年から93年の5年間で2人となっていた。
 ところが、この10年ほどで回復を見せ、2014年は58人となった。
 そのうち第1子、つまり初産が41人ということにも驚きがある。

 死に場所の統計もある。
 世に言う「畳の上で死にたい」、つまり自宅での死が多い都道府県はどこか。

 人口動態統計に都道府県別の「死亡の場所」が集計されているが、全国平均では病院や介護施設などでの、いわゆる「施設内」が85.1、特に病院では75.1%。
 「施設外」カテゴリーのなかの「自宅」での死亡は12.8%である。

■関東の病院事情は最悪
「病院で死にたくても死ねない」

 自宅での死亡がもっとも多い、言い換えれば「畳の上で死ねる」割合が高い都道府県は、住宅事情がもっとも悪いはずの東京都で16.8%だ。
 千葉(15.5%)、神奈川(15.%)も全国的に見て高い方だ。
 一方で少ないのは九州各県で、8.1~9.4%だ。

 東京で特に自宅での看取りが盛んであるという事実は確認できず、自宅内での不慮の事故が飛び抜けて多い数字もない。
 住宅事情と自宅での死亡数の数字は、「住宅事情が良い地域ほど自宅での死亡が少ない」という意外な傾向が見いだせるが、ここに因果関係の存在は考えにくい。

 首都圏の自宅での死亡の多さと九州での少なさ、これを示唆しているデータは、人口あたりの病床数に求められる。
 九州では病床数が多く(人口10万人当たり1700〜1950床)、関東の3都県は最低レベル(同900床前後)。
 関東では病院で死にたくても死ねない、これが実情のようである。

 20年前、世界中をパニックに陥れたHIV、ヒト免疫不全ウイルス病は45人。
 この数字は、この20年間、ほぼ変わりなく推移している。
 SARSはゼロだ。

 さて、交通事故はどうか。
 統計では「不慮の事故」のカテゴリーに入れられている交通事故による死者は、ピークだった1970年の2万496人から数を減らし、2014年は5717人と4分の1近くにまで減少している。
 20年前、1995年の1万5147人と比較しても3分の1近い。
 これは激減と評価していいだろう。

 ただし、そのうち、飲酒が絡んでいる事故での死者は227人いる。
 2004年の712人よりは相当に減ってはいるが、それでも年間に200人以上である。
 通常、これだけの数の死者を出す原因となっている物質であれば、間違いなく毒物扱いされているはず。
 酒には、負の特別扱いされている側面があることは知っておくべきだ。

 「不慮の事故」には他に「転倒・転落」(7946人)、「不慮の溺死及び溺水」(7508人)、「不慮の窒息」(9806人。
 うち食物を気管に詰まらせたもの4874人、高齢者が圧倒的に多く、恐らくは餅が多いと推測される)がある。

■溺死は12月と1月になぜ集中発生するのか

  「不慮の溺死及び溺水」は、季節の変動要因が大きいことが、他の不慮の事故と違うところである。
 溺死だから夏に増えると考える向きも多いだろうが、じつは逆。
 12月と1月の死者数が、7月8月に比べて3倍近くになっている。
 それは、溺死が海水浴や川遊びではなく、7割以上が浴槽内での溺死であり、さらにそのうち8割以上が70歳以上の高齢者であるからだ。
 寒いから風呂に長湯、これが死を招くということだ。

 さらに「不慮の事故」のなかでの、「航空機事故」での死者は6人で、うち3人はグライダー。
 航空機の乗降中に死んだ人が1人いる。

 雪や氷で滑って死んだ人は6人。
 犬による咬傷又は打撲は1人、「そのほかのほ乳類」によるものは6人で、そのうち5人は農場が発生場所なので、恐らくは牛か馬である。
 ちなみに「ワニ」の項目も用意されているが2014年は1人も死者は出ていない。
 水泳プールでの溺死は転落を含めて4人、これが自然水域(海や川など)になると1612人と圧倒的に多い。

★.自殺は2万4417人、他殺は357人。
 自殺では圧倒的に縊首・絞首及び窒息、つまり首を吊る方法が多く、
 次にガス自殺(その他のガス及び蒸気による中毒及び曝露)、
 そして飛び降りであり、
 多くの人に影響が出る列車への飛び込み(移動中の物体の前への飛び込み又は横臥による故意の自傷及び自殺)は533人と、
 首吊りの3%にも満たない。

 他殺(統計上は「加害にもとづく傷害及び死亡」)では、もっとも多いのは鋭利な物体による加害で、120人。
 内訳は男性66人、女性54人と性差は大きくない。
 一方で縊首、絞首及び窒息によるものが117人で、特に女性が72人と男性の倍近い数になる。
 いわゆる殺しのほとんどは首を絞めるか、刺すかであり、拳銃、ライフルともに1人ずつ、刑事ドラマのような射殺は、じつはほとんど起きていない。

 ちなみに法務省のまとめによると、未遂犯を含めた殺人事件の国際比較では、
 日本の人口あたり発生率は米国の5分の1、
 フランス、ドイツ、英国の半分以下であり、
 検挙率はドイツと並んで95~97%(米国は65%前後)。
 ここでも日本は安全な国なのだということが分かる。



JB Press 2015.11.6(金) 武者 陵司
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45185

これから始まるイノベーションの大揺籃時代
~「ザ・セカンド・マシン・エイジ」を考える


●独ハノーバーで開催された情報技術見本市「CeBIT」の「ドイツ人工知能研究センター」のブースで展示された人工知能搭載アンドロイド「AILA」と握手する来場者(2013年3月5日撮影、資料写真)。(c)AFP/CARSTEN KOALL〔AFPBB News〕

ミラー:
 皆様、こんにちは。武者リサーチ、ディレクターのミラーです。
 本日は、武者陵司先生に『ザ・セカンド・マシンエイジを考える』ということで、最近出版されました本についてお伺いしたいと思います。

 この本について、いくつかお客様からお問合せがありまして、武者先生はこの本を強く推していらっしゃるということで、出版社の回し者ではないかというようなご指摘もあるのですが、少し、この本についてご説明いただけますでしょうか?

武者:
 はい。
 このところ講演会などで、事あるごとにこの本を紹介しているものですから、出版社から何かプロモーションの依頼を受けてやっているのではないかというような疑いをかけられてしまっているのですけれど、出版元の日経BP社とは一切コンタクトはないのです。

 何故私がこの本を一生懸命紹介しているのかと言いますと、実はこの本の英語の原本が出たのは1年半前でのその概要をレポートなどで紹介してきました。
 ようやくこの8月に日本語の翻訳が出されて、私も英語でパラパラと見たものの、日本語で改めて読んで、これはぜい紹介したい本だと思いまして、事あるごとに紹介しているということです。
 私がレポートで紹介する以上にこの本を読んでいただいて、今起こっていることを皆様に理解していただきたいということが主旨なのです。

*  *  *  *

ミラー:
 今起こっているということとは、どういったことなのでしょうか?

武者:
 まさしく今起こっていることは、『ザ・セカンド・マシン・エイジ』、つまり第2の産業革命が起こっているというのが、この本の著者であるマサチューセッツ工科大学教授のエリック・ブリニョルフソンとアンドリュー・マカフィーという著者が主張していることなのです。

 第2次産業革命ということなので、当然第1次がある訳です。
★.第1次産業革命とは、
 今から200年程前に起こった蒸気機関などの発明によって、その後の動力がどんどん普及し、
 人間の筋肉労働が機械によって置き換えられたという時代です。

 当時、最大の動力源は人間の筋肉とともに馬だったのですけれど、今やその人間より数が多かった馬が、ほとんどビジネス社会から消えてしまったというように、この第1次産業革命では圧倒的な動力の導入によって、筋肉労働が人間といえ、馬といえ、ほとんど消えてしまったというのがかつて起こったことです。
 この第1次産業革命のおかげで、我々は非常に高度な文明生活を享受することができるようになったということがありました。

 この2人の著者が主張している
★.第2の産業革命とは何かというと、
 いよいよ筋肉ではなくて人間の頭脳を機械が代替する時代に入ったというのが主旨です。
 ロボットや人工頭脳、あるいはスマートフォンやクラウドコンピューティングなど様々な現在のシステムが、人間が今まで果たしていた頭脳労働をも代替してしまうことが起こっているということです。

 その顕著な例は、自動車の自動運転です。
 運転というのは明らかに頭脳労働ですけれども、今や運転手がいなくても自動車が自分で判断して動くようになっている。
 この本に書かれているエピソードは、カリフォルニア州のサンフランシスコからシリコンバレーに走るワンオーワン、101という高速道路があるのですが、そこの高速道路ではグーグルの無人車が走っているということが紹介されています。
 日本でもトヨタ自動車が2020年には無人自動車を発売するということを言っています。
 実際、現実的に実用の域に達しているようです。
 となると、いずれ運転手がいなくても、あるいはスマートフォンが運転してくれるということになります。
 従って小学生でも運転できる。
 つまり、運転免許は要らなくなる。場合によっては、お父さんお母さんが子供を学校に送り迎えしていたのを全部機械が自分で判断してやってくれるなどということが起こるわけです。

 これはかなり画期的なことだと思うのですが、これと類似した変化がいたるところで起ころうとしている。
 今や翻訳もほとんど機械がやる。
 この本では、私がやっているような証券アナリストのような仕事も全部機械がやるから要らなくなるというのですけれど、そうなると人間は頭脳労働からも解放される。

 言葉を変えれば、頭脳労働の仕事も機械に奪われる。今から200年前に、大変な数が存在していた筋肉を使って労働をしていた馬がこの世から消えたわけです。
★.今、いよいよ頭脳労働をする人間ももう要らなくなるという時代に入った
となると、人間は筋肉も使わない。
 そして頭も要らない。
★. もう全員が失業する。
 コンピュータや機械が我々の仕事を奪うという時代に入る
ということなのです。

 実際に、いかに人工頭脳がパワフルかということはチェスだとか将棋において、そのクラスの最高の名人・王者を人工頭脳コンピュータが既に破っているという実績から見ても、これはとてつもないパワーを持っているということが明らかだと思います。

 さて、そういう時代を我々は一体どのようなものとして考え、どのように将来を展望したらいいのかということを書いているのが、この本なのです。
 そういう意味では、非常に示唆に富む本ですし、既に我々が直面している課題をはっきり面と向かって解きほぐしているという本だと思います。

*  *  *  *

ミラー:
 そうなると、人間は活躍する場面がなくなるような気がするのですが。

武者:
 そうですよね。
 基本的には、今までと同じ人間がやっていることはほとんど、機械がやってくれる。
 今や人間は筋肉労働を全く行いませんよね。
 恐らく筋肉労働と言ったら、スポーツ選手、浅田真央選手とかイチローさんとか、スポーツ選手は筋肉労働でしょうけど、しかし、普通の人はもう筋肉労働をやっていません。
 というようになると、今度は頭脳労働をやる人がいなくなる。
 困りますよね。
 皆が失業する。

 さて、そういう時代をどのようなものとして捉えるかということが、
 今の経済学においても非常に核心的な課題になっている
という風に思います。

 このようにして機械が人間を代替するということは、言葉を変えて言えば、生産性が劇的に高まり無限大に大きくなる。
 つまり、
★.ほぼゼロの労働で何でもできてしまうということになると、労働生産性が劇的に高まる
ということです。

 つまり、今から200年前に起こった産業革命、筋肉労働が機械に代替されたという産業革命も、そして今起ころうとしている頭脳労働が機械に代替されるという、この動きも、ひとことで言えば、人間の生産性が劇的に高まって、場合によってはゼロの労働で何でもできてしまうというような無限大の生産性という時代に入っていくわけです。
 そうなると人間は全員が失業する。
 ということは、技術発展の先には全員失業という暗い将来が待っているという悲観的な見方も可能
です。

 実際、今から200年前の産業革命の時代には、ラダイト運動というのが起きて、
 自分たちの労働を奪う機械を壊せという労働運動がイギリスで大きく広がった
ことがありました。
 これは明らかに労働者の権利を守るというよりは、技術、人類の進歩を止めようとする反動的な運動というように言われているのですが、今の我々もコンピュータを壊してしまわないと我々の職が奪われるということが起こっているわけです。
 これは非常に由々しき問題である。

 さて、我々は機械に仕事を奪われて人類全部失業者となり、経済は崩壊するのか。
 そうでないとすれば、どんな明るい将来があるのかということの解釈をしなければいけない場面に来ていると思います。

*  *  *  *

ミラー:
 ついこの間、10月21日に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の30年後がやってきたわけなのですが、30年前にこんなものあるわけないと思っていたいものが実際にほぼ完璧に起こっていて、今もまだ進化しているわけですね。
 ですけれども、私たちはまだ仕事があるわけですし、30年前に比べて生活は良くなっているわけですよね。

武者:
 はい、そうですよね。
 まさしく、そこがポイントだと思うのです。

 30年前だって、相当技術は進歩していました。
 コンピュータも既にありました。
 そこからさらにコンピュータが劇的に進歩し、生産性が高まった。
 従って、かなりの仕事はコンピュータに奪われたはずです。

 例えば、今から30年前ですと様々な企業は、データ処理に膨大な人間を抱えていました。
 経理処理だとか販売データだとかを全部手書きで、そろばんで計算していたわけです。
 そういう人々が、今や完全にいなくなったということは、
 職場から膨大な人々が消えたわけです。

 では、世の中全体として失業者が増えたかというと、この30年間全く増えていない。
 このように考えますと、やはり今起こっていることは、ただ失業が生まれて我々は職を奪われ、経済が衰弱するということではなかったということは明らかです。
 それは人類の歴史を振り返ってもそうなのです。
 一番顕著な例は、農業における生産性が劇的に高まったということです。


●図表1

 例えば、今から200年前は米国では74%が農民だったのです。
 つまり100人中74人の人間が一生懸命働いて、ようやく100人が食べられた。
 しかし今では日本でもアメリカでも、農民は100人中2人です
 つまり、2人が働けば100人が食べられるというように、
 農業において生産性が劇的に上昇したのですが、
 ということは、現実には74人の農民のうち72人は農業から失業したわけです。

 従って、農業の生産性が高まっただけで、人々の生活が何も変わらないとすれば、生活水準が200年前と同じなら、72人が路頭に迷っているはずです。
 しかし、そうなっていないのは、農業から離れた72人が失業しているのではなくて、新しい仕事に就いているからです。

その新しい仕事とは何かというと、
 ひとことで言えば、人々の生活をどんどん豊かにしてくれる仕事だと思います。

食べることは農業の生産性向上によりたった2人の労働で満たされる。
 残りの72人は人々のよりよい生活をサポートする産業(それは200年前には存在していなかった)に雇用されているのです。
 良い衣料を着て、良い住まいに住み、良い教育を受け、良い医療を受け、そして良いエンターテインメントを楽しむというように、
 人生をどんどん楽しみ、人々の生活が良くなるということによって、それをサポートする新たな仕事が生まれた。
 これが人類の歴史です。


●図表2

 つまり、
★.生産性がどんどん高まって労働力の余剰が増えれば、
 遊んでいる人が何をやるかというと、
 実は新たな、もっと人々を喜ばせる仕事を見つけて、そこに雇用が生まれる
ということです。

 例えば、良い例が、もう筋肉労働をしている人はいません。
 では、ミラーさんも私も全く筋肉を使っていないかと言えば、そんなことはないです。
 筋肉労働をしないからと言って、筋肉を遊ばせておいたら、
 もう老化して動けなくなる。
 従って、否が応でも筋肉を稼働させなければいけない。

 労働ではないけれども筋肉を使う。それは何かというと、スポーツです。
 つまり、筋肉労働は機械がやってくれるようになったけれど、その代わり我々は筋肉を使って一生懸命スポーツをやる。
 スポーツ産業が興る。
 そこで大きな雇用が生まれる。
 我々にとっては筋肉を使って苦しい仕事をするのではなく、筋肉を使って楽しむ。
 これからは、頭を使って苦しい仕事はやらなくていい。
 その代わり、頭を使ってどんどん楽しむ。芸術だとか、エンターテインメントだとか文学、いろいろなことがあると思います。
 そうすると今度はこちらに新たな雇用がどんどん生まれていく。

 このように考えれば、今起こっている
★.セカンド・マシン・エイジ、つまり機械が人間の頭脳労働を代替する
ということは、暗い将来ではなくて、我々はつまらない頭脳労働、無味乾燥な頭脳労働から解放されて、よりゴージャスな頭を働かせる人生を楽しむことができるということです。
★.そうすると発展する新しい産業というのは、人々をより楽しませる産業。
 このような新たな産業分野が、恐らく将来の人間の雇用を吸収する最大の産業になっていくと思います。
 つまり、これからは皆を楽しませるビジネス、
 これが一番成長するのだというのが『ザ・セカンド・マシン・エイジ』がおぼろげながら指し示している将来像
だと思います。

 最近、日本でもある本が評判になっていました。
 それはどんな本かというと、『あと20年でなくなる50の仕事』という本です。
 まさしく、この『ザ・セカンド・マシンエイジ』が書いている機械が我々の仕事を奪うということを書いているわけです。
 50もある。
 しかし、私は、この本に決定的に欠けているのは別の側面、つまり、あと20年で生まれる50の仕事、という側面だと思います。
 歴史は技術革新と生産性の上昇によって50の仕事が失われ、そして新たに50の仕事が生まれてきました。

 人類の発展というのはそういうものです。
 新たに生まれた50の仕事はすべからく人々をより幸せにする仕事です。
 このように考えると、今起こっている生産性の上昇、産業革命は我々の工夫によって、より良い明るい将来が待っているのだということが言えると思います。

 しかし、そのためには、そのような明るい将来をもたらすための需要をどんどん増やして人々の生活が良くなる環境を整えるための政策的なお膳立てが必要です。
 やはり政策が非常に重要な局面に来ているということが言えると思います。

ミラー:
 はい、分かりました。本当に悲観的ではなくて、これからまた新しい産業も興るだろうと。
 失業するのではなくて、新たな需要創造、イノベーションによって雇用が生まれ、低失業率が維持される。

*  *  *  *

武者:
 重要なことは、人間が筋肉も頭も使う必要がないということは、機械が全部やってくれることで、人間の生活がすごくイージーになり、我々のライフスタイルは今一段の向上が約束されているということです。

 振り返ってみると、今から100年前の我々の先祖には日曜日なんてありませんでした。
 お休みは盆暮れだけでした。
 しかし、今から数十年前に日曜日が休みになり、そして土曜日が半休になったのは、戦後のことです。
 そして、ここ数十年の間に月に1回土曜日がお休みになり、今では完全に土曜日がお休みになり、そして国民の祝日も増え、今や週休3日ということを言っている企業も出て来ている。
 間違いなく週休3日という時代になるでしょうけれども、その先は恐らく、そこで止まらずに週休4日、あるいは全休というのは言い過ぎかも知れませんけど、そういう風になっていくわけです。

 そうすると余暇がどんどん増えてくる。
★.そして人々は持て余した頭脳と筋肉を一生懸命使う何か新しい試みを求めてくる。
 他方で、生産性が高まり企業が儲かるので所得はある。
 そうすると一体何が起こるのか。
 これはもう、パラダイスです。
 そのようなパラダイスに向かって人類社会は進化していっているのだというのが、私が常に主張しているポイントなので
す。

★.注目するべきは、いま技術革新とイノベーションの最先端を走っている
 米国における人々のライフスタイルと消費行動の変化です。

 リーマン・ショック以降、先進国、ことに米国では、企業業績が絶好調であることとは裏腹に、労働と資本の余剰が著しく、賃金低迷(=デフレ危機)と歴史的低金利という、教科書にない事態に直面してきました。
 第2次産業革命が劇的労働生産性の上昇を引き起し、雇用停滞つまり失業増加と賃金低迷をもたらしてきました。

 また同時に技術革新による設備・システム価格の急速な低下、つまり資本生産性の上昇をもたらしました。
 企業は好業績を享受しりながら、
 他方では人余り、金余りが併存するという今までの経済学では説明できない現実が引き起こされてきたのです。

 悲観主義者は雇用不振と賃金停滞、低金利をもたらしている余剰資本が十分に投資に振り向けられていない状態を、危機の深化ととらえてきました。
 確かに企業がいくら儲かっても失業が放置されれば経済は崩壊しますので、危機に深化する可能性があるという側面も無視できません。

 しかし労働者のスキル向上と経済成長があれば、フル雇用と人々の生活の一段の向上が可能となります。
 企業の資本余剰はいずれ賃金上昇、株主還元、株価上昇となって消費を拡大させ、人々のライフスタイルは一段の高みに引き上げられるでしょう。

 実際、米国ではリーマン・ショック以降の辛抱強い量的金融緩和(QE)などの需要創造政策により、余剰労働者が着実に稼働し始め、失業率は大きく低下し、新規失業保険申請件数は過去最低水準まで低下しています。

 図表3にみるように、教育・医療、サービス業、娯楽・観光などの豊かな生活をサポートする分野で雇用が大きく増加しています。
 賃金もはっきりと上昇し始めました。インターネット・クラウドコンピューティング・スマートフォン革命によるイノベーションが大きく人々の生活とビジネススタイルを変え始めていると言えます。


●図表3、4

 将来はアプリオリに決められるのではなく、政策次第、人知の働きかけ次第なのです。
 私の思い込みを含めて、近刊『ザ・セカンド・マシン・エイジ』(日経BP社)はこの事情を見事に説き起こしていると思います。
 技術革命と新結合が花開く今こそイノベーションの大揺籃時代と言えるのです。

ミラー/武者:
 ありがとうございました。

(*)本記事は、武者リサーチのレポート「ストラテジーブレティン」より「第150号(2015年11月5日)」を転載したものです。









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