●欧米では完全に独裁者のレッテルが張られているジンバブエのロバート・ムガベ大統領。「孔子平和賞」は辞退したそうだが・・・〔AFPBB News〕
2015.10.30(金) Financial Times
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45133
独自の世界観を流布し始めた中国
ジンバブエ大統領に授与された中国版「平和賞」が意味すること
(2015年10月29日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
無限の可能性を秘めたこの宇宙のどこかには、ジンバブエを何十年も(大抵はむちゃくちゃに)支配してきたロバート・ムガベ氏にノーベル平和賞が授与される惑星があるのかもしれない。
だが、この地球では、ムガベ氏は中国版の「同等品」、つまり香港のとある団体が設けた「孔子平和賞」なるもので満足するしかない。
「アンチノーベル平和賞」とも言われるこの賞の選考委員会は、91歳のムガベ氏の建国の取り組みと汎アフリカ主義への貢献を称えて授賞を決めた。
同賞は5年前、中国の民主化推進を支持する反体制派で現在獄中にある劉暁波(リウ・シャオボー)氏にノーベル平和賞が授与された際、これに対抗する形で急遽設けられたものだ。
過去にはロシアのウラジーミル・プーチン大統領やキューバのフィデル・カストロ元議長などが受賞している。
今回ムガベ氏が選ばれたことにより、西側の価値観への敵意をむき出しにした賞だという評価はさらに強固なものとなる。
■中国が語る物語
この賞は大きな流れの中の小さな、そしていささか奇妙な一例にすぎない。
中国共産党はゆっくりとではあるが確実に、西側中心の世界観に匹敵するナラティブ(物語)を構築しようとしている。
過去100年間は、民主主義や個人の自律、法の支配といった米国の概念が普遍的と見なされる時代がほとんどだったが、中国はこれに異議を申し立て始めているのだ。
この国の考え方は、大陸並みの広さを持つ国家を維持してきた数千年間に吸収されたものであり、安定と強い政府に重きを置きがちだ。
中国政府にとって過去30年間の歩みは、人々の福祉の実現においては民主主義よりも物質的な進歩と有能な指導者群の方が重要だということの証明にほかならない。
中国政府は自らの物語を語る手段を着実に積み上げている。
国営放送局の中国中央テレビ(CCTV)は2011年から英語放送を大幅に拡充し始め、世界各地に70の支局を開設した。
また中国教育省の関連団体で、中国の言語や文化を普及させるために作られた孔子学院は2004年以降、数十カ国で何百もの教室を開いて急成長を遂げている。
民間人も黙ってはいない。
2009年には、米国のテレビ局によるチベット報道に腹を立てた饒謹(ラオ・ジン)という学生が「アンチCNN・ドットコム」というサイトを立ち上げ、西側メディアによる偏向やうそだと見なした報道を収集した。
こうしたことも手伝って西側諸国の中国観は変化しつつある、とマーティン・ジェイクス氏は指摘している。
『When China Rules the World(邦題:中国が世界をリードするとき)』という著作がある同氏によれば、15世紀に大艦隊を率いて遠征を行いアフリカにまで到達した海洋探検家で宦官の鄭和(チェン・ホー)のことを耳にした人はほとんどいなかった。
ところが今日では、鄭和の大航海は人々に畏敬の念を抱かせるようになっているという。
鄭和に比べれば一般的な話題だが、中国の「九段線」について知っている人も最近まではほとんどいなかった。
九段線とは、南シナ海をほぼすべて取り囲むように地図上に描かれる破線のことで、中国政府は現在、重要な航路であるこの海域の領有権主張を強化するのに利用している。
人工島を建設したり、米国が航行の自由を保証することに異を唱えたりしているのも、この南シナ海での話である。
中国政府がいろいろな事象について自分なりの解釈や説明を構築したいと考えることは、その影響力増大がもたらす予見可能な結果だ。
この国は同じことをほかの分野でも行っている。
金融の分野では、通貨人民元でドルに対抗しようとしている。
また、アジア・インフラ投資銀行(AIIB)のような新しい組織を、西側主導のブレトンウッズ機関と並列させる形で立ち上げつつある。
■西側の世界観を避ける人なら誰でも味方?
ムガベ氏への賞の授与からは、西側の世界観を避ける人物に――たとえそれがどれほど問題の多い人物であっても――とにかく味方したいという意識が透けて見える。
確かに、孔子平和賞は公的機関によるものではなく、ムガベ氏も臆面もなくこれを辞退した。
しかし、ベテランの中国ウオッチャーであるオーヴィル・シェル氏は、孔子というブランドを借りた中国の組織に、中央政府の承認を得ることなく賞を贈る勇気などあるはずがないと指摘する。
また同氏によれば、北京の人民大会堂で昨年ジミー・カーター元米大統領のために開かれた晩餐会を出席したところ、参加者はまばらにしかいなかったという。
一方、習近平国家主席は同じころにムガベ氏のための晩餐会を主催しており、その席で二国間の友好関係は
「帝国主義、植民地主義、そして覇権を相手にともに戦う栄光の日々に・・・強まった」
と述べている。
中国が物語の流布に力を入れていることは、習氏による先日のロンドン訪問でも垣間見られた。
習氏は英国議会で行った演説で、英国が13世紀に議会を作ったことを称賛した後、中国ではそれよりも3300年前に「人民第一」の国家が作られ、法の支配と習氏が呼ぶものが推進されたと述べたのだ。
同氏の言及した皇帝は伝説上の人物であるにもかかわらず、だ。
■「屈辱を強いられた国」という物語とは矛盾
中国は、自分たちの時代が到来しつつあると言いたがっている。
だが、そうした努力は中国政府のもう1つの物語、つまり自分たちは150年も屈辱を強いられてきたという物語によって妨げられている、とシェル氏は指摘する。
「彼らは世界的な経済大国だ。
それなのに、欺かれた第三世界の国だという正反対の主張をするのは、不思議なほどおかしな話だ」
つまり中国は、傷を負った巨人という古い自己イメージと、いろいろな事について自分なりの解釈や説明を押しつけることができる新興の大国だという新しい自己イメージの板挟みになってしまっているということだ。
ムガベ氏に平和賞を授けることは、古いイメージから新しいイメージへの移行がまだ完了していないことを物語っている。
By David Pilling
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サーチナニュース 2015-10-29 15:27
http://news.searchina.net/id/1592775?page=1
孔子平和賞、またも受賞者に拒否されて、
「愛国メディア」にまで批判される
気高い理念を謳う一方、迷走を続ける奇妙な「賞」がある。
孔子平和賞だ。
2015年の受賞者は、西側先進国から「人権侵害の独裁者」と非難されることの多いジンバブエのロバート・ムガベ大統領とした。
しかし、ムガベ大統領は「意味がない」として受賞を拒否する方針だ。
孔子平和賞はノーベル平和賞に対抗して設けられた賞だ。
第1回目の受賞者は、中国国民党の連戦名誉主席とした。
連名誉主席は受賞を拒否した。
そして孔子平和賞の迷走が始まった。
孔子平和賞を主催する団体の「中国郷土文化保護部」は2011年、同賞を取りやめて解散することを発表した。
すると今度は、中華社会文化発展基金会なる団体が10月になり「孔子世界平和賞」の創設を発表。
ところが同団体は同日中に「孔子世界平和賞」を含むすべての活動を停止すると発表。
さすがの孔子平和賞も「息の根が絶えた」に思われた。
ところが11月には香港に孔子平和研究センターという団体が出現し、孔子平和賞を継承すると表明した。
同年の受賞者はロシアのプーチン首相(当時)。
しかしプーチン首相は出席せず、本人とは関係のないベラルーシ出身の女子留学生が代理で賞品を受け取った。
孔子平和賞はその後、
コフィ・アナン国連事務総長、
農業関連研究者の袁隆平氏、
中国仏教会長の釈一誠氏、
キューバのフィデル・カストロ氏
を受賞者に選んだ。
しかし中国人2人を除いては、だれも授賞式に参加していない。
要するに、皆が孔子平和賞を「シカト」したわけだ。
中国メディアの環球時報は28日
「孔子平和賞は中国社会の主流の声ではない」
と題する論説を発表。
ノーベル平和賞には政治的要素が多いという中国側の従来からの主張は継承したが、
中国には世界的な影響力を持つ平和賞を営む実力はない
と指摘。
さらに、孔子平和賞が選んだ受賞者の大部分が「西側が好まない政治上の人物」と指摘し、ムガベ大統領を受賞者にしたことにも、厳しい異議が相次いだと論じた。
そして、孔子平和賞に対する「中国社会主流の承認度は高くない」と主張。
国が関与している賞ではないので、挫折しても国が責任をとる必要もなく、西側社会にもある、社会の主流とは関係のない賞にすぎないと主張した。
考えてみれば、孔子平和賞には大きな矛盾がある。
ノーベル平和賞の受賞者選定が「政治的すぎる」との批判により発足したのに、みずからが極めて政治的だ。
しかも、世界からは相手にされないということで、中国人もしらけてしまった。
愛国論調を売り物にする環境事情にも「愛想を尽かされる」ことになった。
ここまで書いて、論語のこんな言葉が浮かんだ。
「子曰わく、その身正しければ、令せざれども行わる。その身正しからざれば、令すといえども従わず」(子路・第十三)。
つまり「自らが正しければ、強制しなくても人は実行する。正しくなければ、強制しても人は従わない」ということだ。
従う者を見つけにくい孔子平和賞。
孔子の名を冠しつづけるのは「いかがなものか」と思う。
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◆解説◆
発足当初の「ドタバタ劇」を見ると、孔子平和賞の背景に、中国上層部の権力争いが関係している可能性が浮かび上がる。
支持する勢力と、反対する勢力の対立だ。
しかし、その後も低迷の状態が続いていることからは、孔子平和賞には肯定するも否定するも政治的価値はなくなったと考えてよい。
あるとすれば、もともと後押しをした勢力の「面子(メンツ)」の問題だけとなる。
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サーチナニュース 2015-12-07 17:03
http://news.searchina.net/id/1596328?page=1
全世界の孔子学院・孔子課堂が1500カ所に到達=中国メディア
中国メディアの新聞晨報によると、上海市内で6日に開催された孔子学院大会で、中国が全世界に設立した孔子学院が500校、孔子課堂が1000カ所に達したと発表された。
孔子学院は海外の大学と提携して、孔子課堂は小学校から高等学校までの教育機関と提携して設立される。
これまでに世界134カ所の国と地域で設立されており、学生/生徒数は190万人以上に達したという。
孔子学院/課堂設立の最大の目的は中国語の普及だ。
中国が本格的に着手したのは2004年で、英国、フランス、ドイツ、スペインが「自民族の言語を普及させた経験」を土台にして、孔子学院などの展開を続けてきた。
上海市にある大学にも孔子学院が設けられ、全世界における孔子学院の展開を統括している。
また、上海中医大学では中国医学分野、東華大学は中国の服飾文化、同済大学は中国の新デザイン、上海交通大学は中国武術といったように、さまざまな文化の分野を担当し、普及に努めているという。
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◆解説◆
孔子学院には「特定の価値観やイデオロギーを国外に浸透させる役割」があるとの批判もあり、閉鎖される例も出ている。
ただし、孔子学院にまつわる疑惑を別として、自国の母語を普及させること自体は非難されることではないし、国家戦略として極めて有効だ。
自国に対する理解者を増やすことは、国際的な「見解の相違」や「対立」が発生した場合、より公正に判断してもらえる可能性を高めるからだ。
中国だけでなく韓国も「世宗学堂」の海外展開を進めている。
日本当局による日本語の海外普及の動きは、中国などに比べて遅れていると言わざるをえない状況だ。
単純に中国との人口比で考えれば、日本は政府が主体となる日本語/日本文化教育拠点を、海外で150カ所は展開していなければならない計算になる。
言語学者の鈴木孝夫氏は、日本語の海外普及への注力を強く説き続けている。
同氏は、日本語は欧米語とは異なるが、極めて強い論理性があり、高度な内容を表現するのに適した言語と指摘。
さらに母語人口も世界で上位(9位)と言語人口が多く、日本が国際的に重要な役割りを果たす国であるからには、日本を正しく理解することは日本語を学ぶ外国人にとっても有利などと力説している。
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