「失われた20年」といわれるが、その間に首相になった人はみな「ツキ」がなかった。
「失われた30年」に向かおうとしている今、
安倍晋三という男は「ツキにツキまくっている」。
こんなことあってもいいのかというぐらいに「ツイ」ている。
なぜかくもこの男は「ツイ」ているのか。
時代は時に、こういう人物を送り出すことがある。
何をやっても結果がついてくる。
やることなす事、すべてプラスに向かっている。
これまで日本を縛っていた『お詫びと反省の国』というしがらみを解き放って、あっという間に
新常態『普通の国』
へと変貌させてしまった。
中国の「ニューノーマル」が「低落傾向の言い訳」と解釈
されるのに対して、
日本の「ニューノーマル」は「閾値を超えたことの位置づけ」として認識される
ことになる。
これまで半端者として扱われていた自衛隊が2011年に起こった東日本大震災という自然災害によって、確固たる位置を国民の間に築いてしまった。
「嫌らわれる自衛隊から、愛される自衛隊に」とゴロンとひっくり返ってしまった。
さらに続けて翌年の2012年に起こった中国の官製反日デモで一気に
「2/3世紀にわたって続いた日本人の贖罪感・劣等感」がきれいに払拭
されてしまった。
このデモが日本にもたらした効果は大きい。
何にしろ自国でなく、外国の圧力として日本の意識を変えさせてくれた、ものである。
中国の意図とはまったく反対の結果を招来させてしまった、ともいえる。
以降、中国はこの手のデモを徹底的に抑えこむことになった。
それから2,3カ月後、その年の暮れに北京の空がグレーの空気に覆われる。
それまでの「輝ける明日を持つ中国」がこれによりドラマチックに一転してしまう。
その空のように、アッという間に、中国の明日が灰色に染まり、先が見えなくなる。
「環境破壊大国:中国」の登場
となる。
これまで「正義」であった中国が「悪の権化」になる。
そして、
「”中国”とは悪役の代名詞」にまでなってしまう。この国の未来に誰もが危機を見て「チャイナリスク」 と言う言葉が日常用語としておお手を振ってまかり通ることになる。
ほんのわずか前には誰も考えも、感じることもしなかったことが、指で数えられるほどに僅かな時間で180度転換してしまったのである。
時代はドラマのように思える。
そこに安倍晋三が登場する。
実際にこのトラブルに遭遇したのは民主党なのだが、安倍晋三は火事場泥棒のように事後のイイトコどりをしてしまう。
この変貌に極わめつけの非難を投げ続ける中国・韓国だが、
現実はそこから何とわんさかわんさかと観光客が日本へ押し寄せているのである。
「爆買」という新語すらも作られるほどにまでなっている。
これでは、なんとなく迫力が削がれてしまう。
力がイマイチ入っていない、という感じになる。
片手で非難しながら、もう一方の手で握手しようとしている。
一体どうなっているのか、全くワケが分からない。
歴史というものはたまに、こういう
説明がつかない「ツキまくる人物」を世俗に送り込む
のかもしれない。
さて、この男の「ツキ」はどこまで続くのであろう。
『
現代ビジネス 2015年10月09日(金) 長谷川 幸洋
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45748
安倍首相はなぜこんなに「ツイている」のか?
~ノーベル賞とTPP報道で対立ムードが吹っ飛んだ
消えた反対派、国会前は閑散
ノーベル賞の人間ドラマにはかなわない
ついこの間までのギスギスした世間の雰囲気がウソのようだ。
連夜のノーベル賞受賞ニュースは安全保障関連法をめぐる激しい対立を完全に吹き飛ばしてしまった。
昼間のテレビ番組はすっかり祝賀モードである。
安倍晋三政権はツイている。
明るいニュースは他にもある。
難航していた環太平洋連携協定(TPP)交渉が大筋合意にこぎつけた。
批判もあるが、やはり合意は喜ばしい。
もしも失敗していたら
「安倍政権に大打撃。政権は何をやっているんだ」
という声が広がっていただろう。
スポーツ好きの私としては、さらにテニスの錦織圭選手とラグビー日本代表の活躍も加えたい。
錦織選手は先の全米オープンで予想外の1回戦敗退を喫した後、大丈夫かと思っていたが、楽天ジャパンオープンですっかり復活したようだ。
時系列で確認しておこう。
TPPの大筋合意が報じられたのは10月6日の各紙朝刊だ。
同じ日の朝刊で大村智・北里大学特別栄誉教授のノーベル医学生理学賞受賞が報じられた。
朝日新聞朝刊はTPP合意が一面トップ、大村教授の受賞は一面5段左肩の準トップという扱いである。
翌7日になると、今度は梶田隆章・東京大学宇宙研究所長のノーベル物理学賞受賞が朝日の一面トップで報じられ、内閣改造は一面左肩3段の準トップになった。
ちなみに読売新聞は6日朝刊で大村教授の受賞を一面トップ、TPP合意は左肩4段で扱った(いずれも東京本社発行版)。
ノーベル賞とTPP合意なかりせば、安倍改造内閣のニュースがどうなっていたかといえば、批判的トーンが強くなっていたのではないか。
他に重大ニュースがないのだから、内閣改造について掘り下げざるをえず、勢い、記事は批判的になる。
「新味がない」とか「順送り人事の復活」「そもそも1億総活躍相って何をするんだ」といった具合である。
その関連で、安倍首相がぶち上げた「新3本の矢」についても「単なるスローガンを並べただけじゃないか」といった批判が加速していただろう。
ところがノーベル賞の人間ドラマにはかなわないから、内閣改造もTPPも脇へと押しやられてしまった感がある。
TPPについては、批判の定番になっていたISD条項(投資家対国家の紛争解決条項)の問題も飽きられてしまったのか、ほとんど報じられなかった。
■反対派はどこへ消えたのか
ネットでも「反対派はあれほどISD条項で騒いでいたのに、すっかり影が薄くなったのはどうした訳か」といった声が出ている。
私はもともとISD条項をめぐる批判は実態以上に誇張されていると思っていたので、合意で報じられなかったのも当然と思う。
ISD条項にTPPの本質があるわけでは、まったくない。
言うまでもなく、ノーベル賞もTPP合意も安倍政権の意図でどうにかなる話ではない。
錦織選手やラグビー日本代表の活躍もそうだ。
政権にしてみれば、天から降ってきた贈り物に近い。
世間を明るくするのは間違いないから、やはり政権はツイている。
2年前の東京五輪招致成功を思い出させるような展開だ。
それにしても、である。
安保関連法をめぐる騒ぎはいったい、どこへいったのか。
民主党も共産党も「戦いはこれから。始まったばかりだ」と絶叫していたではないか。
私はその後も時々、国会周辺に出掛けているが、デモ隊の姿はすっかり消え失せてしまった。
国会周辺だけではない。
テレビのニュースや新聞紙面からも消えてしまった。
だが、これがマスコミの本質であり、マスコミが作り出す世間の雰囲気なのだ。
マスコミは目の前に新しいニュースがあれば、それに食いつかないわけにはいかない。
1つ1つのニュースを仔細に取り上げれば、批判的に報じる、あるいは論じるべき論点はまだまだあるはずなのに、ニュースのメニュー自体が良かれ悪しかれ、社会のムードを作り出していってしまう。
ニュースの受け手は、そんな時こそ冷静になるべきだ。
そこで、いくつかコメントしておこう。
まずTPPだ。
TPPはこれまで以上に市場の競争をアジア太平洋ベースに拡大していく。
農業が典型である。そ
こで、たとえば日本の農業が「自動車自由化の犠牲になった」というようなストーリーが流布している。
ところが「農業」と一括りにするのが、そもそも間違いなのだ。
個々の農家に目を向ければ、同じリンゴやコメを作っていても、従来と変わらず日本市場だけを相手にしている農家もあれば、輸出を目指す農家もある。
品質向上に懸命な農家もあれば、熱心でない農家もある。
市場がグローバル化して競争が激化すれば、勝ち残りに懸命な農家がそうでない農家を駆逐していくのは当然である。
それは繊維や自動車、鉄鋼など他の産業をみれば、まったく明らかではないか。
強い企業が勝ち残り、弱い企業は退出を迫られる。
「農業という産業」だけが例外で、農家がぜんぶ丸ごと保護されるべきであるかのように考えること自体が誤りなのだ。
私は輸入品と国産品、さらに国内農家同士の競争が激しくなって、結果として多少、値段が高くなっても、おいしく安全な食物が多くなるのは賛成である。
■アジア版NATO構想も浮上
TPPはもちろん中国を意識している。
中国はいま焦っているに違いない。
TPPがまとまらなければ、中国主導のルール作りが進んだかもしれないが、期待に反して合意してしまったので、中国はTPPルールを無視して貿易を拡大するのが難しくなった。
もちろん、中国自身がTPPに入る道も閉ざされてはいない。
だが、それには知的所有権や投資保護など、中国がTPP合意に沿って国内体制を抜本的に改める必要がある。
いまの中国にそれは無理だろう。
なにしろ、政府自身が領土や主権にかかわる国際法を無視しているくらいなのだから。
TPPの次には、アジア太平洋における集団安全保障体制の構築も視野に入ってくる。
すでに、理念型としてはアジア版北大西洋条約機構(NATO)の議論もある。
TPP合意の直前に日本が集団的自衛権の限定的行使を容認した安保関連法を成立させられたのは、もちろん大きな前進である。
それから、内閣改造について。
新設された「1億総活躍」相が何をするのか、私にも分からない。
当の加藤勝信大臣もまだ、よく分かっていないのではないか。
ただ1億というからには、女性と高齢者が対象になるのは確実だ。
そうなると、子育て支援と介護の問題を抜きには語れない。
保育所の拡充が望ましいのは当然だが、私は「何がなんでも政府がぜんぶ手当する」という発想をやめて、企業に任せる施策をもっと強めてもいいのではないか、と思う。
よく知られているように、ローソンや資生堂、ヤクルトなどは企業自身が保育所を整備している。
あるいは保育所とか託児所付きマンションも登場している。
トヨタは配偶者手当を廃止して、子ども手当を大幅増額する。
こういう処遇も働く母親と子育て支援になる。
そんな企業努力を政府や自治体が補助金や税制優遇で後押ししてはどうか。
保育所へのニーズがあるのははっきりしている。
働きたいお母さんがいるからだ。
ニーズがあるところにビジネスありだ。
企業はそういう働き手を取り込むために何ができるか、大胆な方策を考えてほしい。
そして政府はそれを支援すべきである。
■新内閣への「布石」
内閣改造自体は「これで終わり」という話ではない。
今度の改造は来年7月の参院選をにらんでいる。
私はかねて公言しているが、
消費税10%への引き上げを再び先送りしたら、安倍政権は衆参ダブル選に打って出る可能性がある
とみている(http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/44837)。
そうなれば総選挙後は当然、新内閣だ。
つまり、今回の改造内閣はせいぜい来年7月までの布陣である公算が高い。
意地悪く言えば、今回の改造は選挙をにらんだ内閣の広告塔作りと入閣待ち政治家の滞貨一掃という性格もある。
そんな中で新大臣が「おおっ」と思わせるような仕事ができれば、選挙後も次の仕事が待っているはずだ。
大臣になって喜ぶのは一晩でおしまいにしたほうがいい。
*********
最後に宣伝を一言。私が司会を務めるテレビの解説討論番組「ニュース女子」がTOKYO MXでも放送スタートになりました。
これまでCS放送のDHCシアターで放送してきましたが、それに加えて今度は地上波です。
西川史子(MC)、脊山麻理子、神田愛花、青山繁晴、勝谷誠彦、末延吉正、上念司、井上和彦、須田慎一郎、岸博幸、藤井厳喜、原英史ら論客の各氏が続々と登場し、日本と世界の大問題をガチンコの本音で論じていきます。
毎週水曜日の26:40から1時間、次回は10月14日26:40〜(15日02:40〜)。
ぜひご覧ください。
』
『
JB Press 2015.10.13(火) 筆坂 秀世
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44973
憲法9条はすでに壊れている
~なぜ安保法制反対派は「憲法違反」の自衛隊解体を叫ばないのか
安保法制が成立した。メディアでは、SEALDsなど安保法制反対派の国会前でのデモが大きく取り上げられた。
しかし、その後の人の集まり具合などを見ていると、反対派の運動は衰えているようである。
10月8日には、文京区のシビック大ホールで
「10・8戦争法廃止! 安倍内閣退陣!総がかり行動集会」
が行われた。
主催者側は1750人が集まったと発表しているが、会場は満席で1802席である。映像を見ると2階席は半分以上が空席になっており、1階席も空席がある。
とても1750人も集まったとは思えない。
しかも、参加者には、実に高齢者が多い。
メディアで取り上げられた若者は、どこにいってしまったのだろうか。
■憲法9条は壊れていなかったのか・・・?
ところで、この運動のなかで、おかしなというか不思議なスローガンが散見された。
その1つが、「憲法9条を壊すな」というスローガンである。
安保法制反対派の人々の多くは、自衛隊に嫌悪感を持っている。
共産党系の平和団体に日本平和委員会というのがある。
そのホームページによれば、「日本平和委員会は、北海道から沖縄まで全国47都道府県で、草の根から平和を創るために活動しているNGO(非政府組織)です。
地域や職場、学園にいる3人以上の会員で作る基礎組織が全国に約500あり、約1万8000人の会員がいます」ということである。
また
「国内では、憲法9条守れ、
非核3原則の厳守、
米軍基地撤去・日米軍事同盟解消、
侵略戦争の反省と
戦後補償の実現
などが大切なテーマと考えて活動しています」
ということである。
代表理事には、私も知っている共産党員が入っている。
この団体の機関紙「平和新聞」には、集団的自衛権の関係で「憲法破壊許さない」などという見出しが躍っている。
安保法制反対の国会デモの際にも、「9条を壊すな」というプラカードが目についた。
シビックホールでの集会の主催の1つが、「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」である。
私が不思議に思うのは、これらの運動を行っている人々や団体は、
「憲法9条は壊れていない」と認識していることである。
壊れていないからこそ、「壊すな」と叫んでいるはずだ。
ならば聞いてみたいことがある。
あなた方は、自衛隊をどう見ているのか、
ということを。
憲法9条2項には、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とある。
だが自衛隊が存在している。
この人々にとって、「自衛隊は憲法違反の軍隊」という位置づけであるはずだ。
だからこそ平和委員会などは、各地で自衛隊の訓練に反対し、その存在そのものを忌避する態度をとっている。
日本共産党も自衛隊は、「憲法違反の軍隊」だと位置付けている。
だとすれば、この人々にとって、憲法9条はすでに大きく毀損されているということではないか。
もしそれでもプラカードを掲げたければ、「9条をこれ以上壊すな」というのが、この人々の立場と整合したスローガンなのである。
■なぜ「憲法違反の自衛隊解体!」と叫ばないのか
それだけではない。PKO(国連平和維持活動)法が制定された際にも、日本共産党や当時の日本社会党は、憲法違反の自衛隊の海外派遣、海外出動だとして批判していた。
ここでも憲法9条は、著しく毀損されたと評価するのが、これらの人々の立場であるはずだ。
おそらくこの矛盾に気が付くこともなく、「9条壊すな」というスローガンは分かりやすいので使っているのであろう。
真剣さがないのである。
結局、何かあれば「憲法違反だ」「9条を壊すな」とその都度、同じスローガンを叫んでいるだけなのだ。
真剣さがあれば、「憲法違反の自衛隊解体!」となぜ叫ばないのか。
この人々は、自衛隊がなくなれば万々歳ではないのか。
自衛隊がなくなれば、集団的自衛権の行使の心配も、海外派兵の心配も、一切なくなるではないか。
もちろん私は、これに猛反対する。
圧倒的多数の国民もそうであろう。
自衛隊は、憲法違反の存在ではないからだ。
日本は自衛権を持っている、と誰でも言う。
では自衛をするためには、何が必要か。
いうまでもなく軍事力である。
侵略者を撃退できる実力組織
と言い換えても良い。
もしそれが許されないのだとしたら、自衛権を持っていると言っても、何の意味もなさない。
自衛権の裏付けが自衛隊なのである。
この自衛隊まで憲法違反だとして忌避するような運動は、国や国民の安全に背を向けるものであり、無責任の極みと批判されても仕方がない。
■現実から遊離した「憲法9条にノーベル平和賞」の運動
「『憲法9条にノーベル平和賞を』実行委員会」という運動があるようだ。
「世界各国に平和憲法を広めるために、日本国憲法、特に第9条、を保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください」という署名活動を行っているそうである。このホームページによると、69万3951筆の署名が集まっているそうである。
正直な感想を言えば、たったそれだけか、さもありなんということである。
この運動に対して、昨年5月22日、民主党の小西洋之参議院議員、吉良佳子参議院議員などが、憲法9条にノーベル平和賞が授与されるよう求める文書を、駐日ノルウェー大使館を通じてノーベル賞委員会に提出したと発表している。
この文書には、与野党7党と無所属議員の60人が賛同者に名を連ねているそうである。
民主党はともかく、共産党は自衛隊もPKO活動も憲法違反と主張してきた政党である。
よもや新人議員だから知らなかったということではなかろう。
平和と名がつけば、何でも利用して自分の名をあげようとでも思っているのだとしたら、浅はかと言うしかない。
現在の憲法が連語国最高司令官マッカーサーの意向によって作られたことは、周知の事実である。
憲法学者、西修氏の著書『日本国憲法の誕生』(河出書房新社)によれば、第9条の原点は、1946年2月3日の「マッカーサーノート」にある。
当初、このノートには、
「紛争解決のための手段としての戦争」だけではなく、
「自己の安全を保持するための手段としての戦争」、
すなわち自衛戦争も放棄するよう求めるものであった。
これを書き改めたのが、草案作成の中心にいたチャールズ・ケーディス大佐である。
★.「自己の安全を保持するための手段としてさえも」という部分を削除し、
「武力による威嚇または武力の行使」が付け加えられたのだという。
これはケーディスが、自衛戦争の放棄はあまりに非現実的であり
どの国にも“自己保存”(自衛)の権利はある
と考えたからである。
日本共産党が当時反対したのは、「マッカーサーノート」にあった「自己の安全を保持するための手段としての戦争」も禁止されていると解釈したからである。
これはやむを得ない解釈であった。
いまでは、日本共産党は、わが国に自衛権はあるという解釈を受け入れ、このこと自体には反対していない。
ところが「憲法9条にノーベル平和賞を」という護憲運動は、この“自己保存”の権利をも否定するものだ。
これに共産党の参議院議員が嬉々として賛同するというのは、この議員の勉強不足なのか、共産党の融通無碍のなせる技なのか。
それとも両方なのかであろう。
どちらにしても、この9条を作ったのは、日本を丸腰にしようとしたアメリカ領軍であったことだけは明白である。
であるならアメリカ占領軍、あるいはマッカーサーこそ、その受賞者にふさわしいということになる。
そもそも戦後の日本が平和だったのは、憲法9条のおかげではない。
日米安保条約と米軍の存在があったからだ。
もし無防備であったなら、尖閣や沖縄は中国に取られていたかもしれない。
北海道だって旧ソ連が侵攻した可能性もある。
そして日本は、内政に力を集中できたからこそ経済発展も可能になった。
外に向かっては、厳然たるアメリカの力の行使があったのだ。
9条があったから平和であったなどというのは、幻想に過ぎないことを知るべきだ。
』
『
現代ビジネス 2015年10月16日(金) 長谷川 幸洋
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45849
安倍政権「支持率急増」のナゾを読み解く
~サラバ野党!
正義論、理想論が通じる時代は終わった
■安倍政権の支持率上昇は何を意味しているか?
第3次安倍改造内閣の支持率が上昇している。
各社の世論調査によれば、おおむね支持が前回調査に比べて4〜5ポイント上昇した一方、不支持は5〜9ポイント下落した。
安全保障関連法をめぐって反対運動が盛り上がったにもかかわらず、なぜ支持が増えたのか。
世論調査によると、
★.読売新聞が支持46%(5ポイント増)に対して不支持が45%(6ポイント減)、
★.日本経済新聞は支持44%(4ポイント増)、不支持42%(5ポイント減)、
★.毎日新聞は支持39%(4ポイント増)、不支持43%(7ポイント減)、
★.共同通信が支持44.8%(5.9ポイント増)、不支持41.2%(9ポイント減)
だった。
10月13日に発表された
★.NHKは支持が43%(変わらず)、不支持が40%(1ポイント増)
となっている。
政党支持率はどうかといえば、自民党支持が35.6%(0.9ポイント増)、民主党は8.6%(1.2ポイント減)だった。
自民党支持率が上がって、民主党支持率が下がったのが注目される。
こうした結果をどうみるか。
安保関連法の国会採決については、多くて8割、少なくても6割以上の回答者が反対ないし慎重審議を求めていた。
それを根拠に野党は「多くの国民が反対している安保関連法を強行採決したのは暴挙」と批判した。
野党の言い分通りなら、内閣支持率は下がって当然だ。
だが結果は正反対で、NHKを除いて支持が上昇している。
多くの国民は国会で慎重審議を求めたが、法案が可決成立した後は、
結果的に「やむをえない」と容認したようにも読める。
私は少なくとも、野党は「国民を説得するのに失敗した」と認めるべきだと思う。
「戦争法案だ」とか「日本が徴兵制になる」といったレッテル張りの批判が、多くの国民に受け入れられなかったのだ。
一方で採決に批判があったのもたしかだから、安倍晋三政権が積極的に支持されたというより、野党が支持されていない、とみるべきではないか。
問題は野党の側にある。
なぜ野党が支持されないのか。
今回はそこを考えてみる。
■野党の「素朴な正義論」vs与党の「現実論」
私の観察では、野党議員やその支持者は概して真面目で「正しいことは何か」を素朴に考えている人が多いように思う。
たとえば
「日本が戦争をする国になってはいけない」とか
「憲法に反する法律を作ってはいけない」
といった具合だ。
今回の安保関連法についても
「そもそも憲法9条は戦争を禁止している」
「なのに、ああいう法律ができると日本が戦争をする国になってしまう」
などと考える。
まず「正しさ」とか「国の理想的なあり方」を先に考えて、そこから政治や政策に対する態度を決めるのだ。
「それは当たり前じゃないか」
と思われるかもしれない。
「正しいかどうかを基準に判断しないで、いったいどう考えるんだ」
という話である。
これを「素朴な正義論」と名付けよう。
素朴な正義論に立つ人は野党の反対論を支持しただろう。
これに対して、現実の安全保障環境を重視する立場がある。
安倍晋三政権がなぜ今回、安保法制を見直したかといえば、日本が中国や北朝鮮の脅威にさらされているからだ。
ホルムズ海峡の機雷除去とか日本海での米艦防護といった話もあったが、それは「たられば論」だ。
いわば傍論である。
中国が尖閣諸島周辺の領海に侵入したり、北朝鮮が核ミサイルで日本を含む周辺国を威嚇しているのは仮定の話ではなく、現実の脅威である。
座視しているわけにはいかないので、脅威に対抗できるように憲法解釈を見直して安保法制を整えた。
つまり、安倍政権は「現実論」に立っている。
素朴な正義論と現実論の決定的な違いは、自分の価値観を優先して考えるか、それとも日本を取り巻く環境評価から出発して政策を考えるか、という点にある。
主観的価値観が先か客観的状況が先か、
と言ってもいい。
価値観に基づく正義論にこだわれば
「日本は戦争をしてはいけない」
という結論になるが、置かれた環境を重視する現実論に立てば
「戦争を仕掛けられたら、受けて立たないわけにはいかないだろう」
という話になる。
険しい与野党対立は結局、素朴な正義論vs現実論の争いだったと総括できる。
■政治は「倫理」でも「道義」でもない
素朴な正義論の何が問題か、といえば
「正しいことを目指すのが政治であり、国のあり方だ」
と思い込んでいる点である。
残念ながら、
政治の世界では正しいことを目指すのが、いつも必ず正しいとは限らない。
政治は倫理でも道義でもないからだ。
現実には、自国の勢力を拡大したり、自分の権力を増大するためには、正しかろうが悪かろうが、倫理や道義、人の道に外れようがなんだろうが、なんでもするという国がある。
中国や北朝鮮だ。
イスラム国の残虐さもそれを証明している。
第二次大戦後、世界は少しでも正しい理想の社会に近づくために、各国が努力した。
国連はその象徴だ。国連がなんのためにできたかといえば、領土や主権を無視して乱暴狼藉を働く国が現れたら、みんなで懲罰、制裁を加えるためだ。
これは集団安全保障だが、本質的には集団的自衛権もその一環である。
だが現実には、懲罰を加えるリーダー役であるはずの安全保障理事会の常任理事国自身が公然と乱暴狼藉を働くようになってしまった。
クリミアに侵攻したロシアと尖閣諸島や南シナ海の自由航行を脅かしている中国である。
世界は素朴な正義論だけでは通用しない。
無法は現実にある。
日本が素朴な正義論を主観的に唱えているだけでは、平和と安全が守れないのだ。
野党の主張に説得力がなかったのは、自分が正しいと信じることを叫ぶだけで、無法がまかり通る現実の世界でどう日本の平和と安全を確保するのか、具体的な対応策を示せなかったからではないか。
■民主党の限界
振り返れば、かつての民主党政権も「清く正しく美しい」ことを述べ立てる政権だった。
たとえば、鳩山由紀夫首相は米軍普天間飛行場を「国外、最低でも県外」に移転すると言った。
それは理想的だったが、具体的な選択肢を持ちあわせてはいなかった。
菅直人首相は中国漁船の海上保安庁巡視船体当たり事件で、清く正しくどころか船長を釈放してしまった。
野田佳彦首相は民主党の公約だった脱官僚の掛け声はどこへやら、財務官僚と二人羽織で消費税増税を決めた。
いずれも理想的な言葉を並べてみせたが、現実に直面すると対応策を持ち合わせていなかったので、前言を翻すか(鳩山政権)、場当たり対応するか(菅政権)、官僚に丸投げするか(野田政権)しかなかったのだ。
今回の安保論争では、そんな民主党の本質が一層、浮き彫りになった。
岡田克也代表はじめ党内には集団的自衛権を容認する議員も少なからずいたはずなのに、いざ安倍政権と対峙すると、現実の脅威を置き去りにしたかのような状態で「清く正しく美しく」の観念論が大手を振ってまかり通った。
「徴兵制になる」という馬鹿げたプロパガンダは典型である。
「素朴な正義論」で言えば、日米安保条約や自衛隊にも首尾一貫して反対している日本共産党のほうがずっとマシと思った国民もいるだろう。
実際、NHK調査では共産党支持率が4.2%と民主党の半分に迫り、維新の党(0.7%)をはるか彼方に置いてきぼりにしてしまった。
維新は少し前まで2〜3%台を維持していたのに、いまや政党として風前の灯である。
分裂騒ぎの根本理由も、与党につくか野党につくかといった路線の違いというより、素朴な正義論に傾斜するか現実を見据えて政策を考えるかの違いではないか。
外交であれ安全保障であれ経済であれ、およそ政策は現状認識から出発する。
現実に目を向けず、自分の価値観に基づいて「正しいかどうか」で唱える政策は空理空論に陥りやすい。
安保論争はまさにそうだった。
それで通用するほど世界は甘くない。
世論調査の結果は、日本がようやく書生論議から脱して、国民が地に足がついた現実主義を身につけ始めた証拠である。
』
『
2015.11.10(火) The Economist
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45215
債務の貨幣化:日本の解決策
経済的リスクの詰まったパンドラの箱、
それでも意外と悪くない?
(英エコノミスト誌 2015年11月7日号)
安倍晋三首相は最善を尽くしているが、
この先の日本経済は、未知の領域に突入することになるだろう。
「世界には4種類の国がある」と、ノーベル賞を受賞した経済学者のサイモン・クズネッツは言ったとされている。
その4種類とは、
1. 先進国、
2. 発展途上国、
3. アルゼンチン、そして
4. 日本
だ。
だがいまや、先進国の多くは極めて日本的な様相を呈し、慢性的に低い金利とインフレ率、そして涙が出るほど大量の公的債務を抱えている。
それゆえ、多くの国の政府は、日本の安倍晋三首相を注視している。
経済再生を掲げて2012年に就任した安倍首相は、日本の経済的な混乱に立ち向かっているところだ。
その任務は、多くの者が理解しているよりも難しい。求められているのは、単なる成長ではなく、膨大な公的債務に対処する力を日本に与えられるだけの急速な成長だ。
■安倍首相が放った3本の矢
安倍首相は、経済成長を推進する「3本の矢」――財政、金融、構造――により、歴代政権の中途半端な政策よりもずっと強力に景気を刺激すると公約した。
今年9月には、さらに明確に最終目標を示し、過去20年の間、500兆円前後で推移している日本の名目国内総生産(GDP)を、20%増の600兆円に引き上げると表明した。
安倍首相が放った矢は、経済を正しい方向に動かしてきた。
インフレ調整前の成長率を示す名目GDPは、2012年末から約6%増加した。
その増加のおよそ半分は、物価の上昇によるものだ。
失業率も4.3%から3.4%に低下した。
だが、この進歩は、まだ全く不十分だ。
経済回復は停滞しており、第2四半期にはマイナス成長となった。
物価は再び下落に転じている。
そして、日銀が今夏ひねり出した新たな消費者物価指数、「新コア」CPIでさえ、目標とする2%の物価上昇率に届かないままだ。
通常の金融政策への回帰は、相変わらず遠いように見える。
日銀は10月30日、資産買い入れのペースを上げずに市場を失望させたが、それでも毎年80兆円の国債を購入している。
インフレ率の低迷が続けば、その額はさらに増える可能性もある。
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【輝ける時のあと】
現代ビジネス 2015年10月16日(金) 長谷川 幸洋
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45849
安倍政権「支持率急増」のナゾを読み解く
~サラバ野党!
正義論、理想論が通じる時代は終わった
■安倍政権の支持率上昇は何を意味しているか?
第3次安倍改造内閣の支持率が上昇している。
各社の世論調査によれば、おおむね支持が前回調査に比べて4〜5ポイント上昇した一方、不支持は5〜9ポイント下落した。
安全保障関連法をめぐって反対運動が盛り上がったにもかかわらず、なぜ支持が増えたのか。
世論調査によると、
★.読売新聞が支持46%(5ポイント増)に対して不支持が45%(6ポイント減)、
★.日本経済新聞は支持44%(4ポイント増)、不支持42%(5ポイント減)、
★.毎日新聞は支持39%(4ポイント増)、不支持43%(7ポイント減)、
★.共同通信が支持44.8%(5.9ポイント増)、不支持41.2%(9ポイント減)
だった。
10月13日に発表された
★.NHKは支持が43%(変わらず)、不支持が40%(1ポイント増)
となっている。
政党支持率はどうかといえば、自民党支持が35.6%(0.9ポイント増)、民主党は8.6%(1.2ポイント減)だった。
自民党支持率が上がって、民主党支持率が下がったのが注目される。
こうした結果をどうみるか。
安保関連法の国会採決については、多くて8割、少なくても6割以上の回答者が反対ないし慎重審議を求めていた。
それを根拠に野党は「多くの国民が反対している安保関連法を強行採決したのは暴挙」と批判した。
野党の言い分通りなら、内閣支持率は下がって当然だ。
だが結果は正反対で、NHKを除いて支持が上昇している。
多くの国民は国会で慎重審議を求めたが、法案が可決成立した後は、
結果的に「やむをえない」と容認したようにも読める。
私は少なくとも、野党は「国民を説得するのに失敗した」と認めるべきだと思う。
「戦争法案だ」とか「日本が徴兵制になる」といったレッテル張りの批判が、多くの国民に受け入れられなかったのだ。
一方で採決に批判があったのもたしかだから、安倍晋三政権が積極的に支持されたというより、野党が支持されていない、とみるべきではないか。
問題は野党の側にある。
なぜ野党が支持されないのか。
今回はそこを考えてみる。
■野党の「素朴な正義論」vs与党の「現実論」
私の観察では、野党議員やその支持者は概して真面目で「正しいことは何か」を素朴に考えている人が多いように思う。
たとえば
「日本が戦争をする国になってはいけない」とか
「憲法に反する法律を作ってはいけない」
といった具合だ。
今回の安保関連法についても
「そもそも憲法9条は戦争を禁止している」
「なのに、ああいう法律ができると日本が戦争をする国になってしまう」
などと考える。
まず「正しさ」とか「国の理想的なあり方」を先に考えて、そこから政治や政策に対する態度を決めるのだ。
「それは当たり前じゃないか」
と思われるかもしれない。
「正しいかどうかを基準に判断しないで、いったいどう考えるんだ」
という話である。
これを「素朴な正義論」と名付けよう。
素朴な正義論に立つ人は野党の反対論を支持しただろう。
これに対して、現実の安全保障環境を重視する立場がある。
安倍晋三政権がなぜ今回、安保法制を見直したかといえば、日本が中国や北朝鮮の脅威にさらされているからだ。
ホルムズ海峡の機雷除去とか日本海での米艦防護といった話もあったが、それは「たられば論」だ。
いわば傍論である。
中国が尖閣諸島周辺の領海に侵入したり、北朝鮮が核ミサイルで日本を含む周辺国を威嚇しているのは仮定の話ではなく、現実の脅威である。
座視しているわけにはいかないので、脅威に対抗できるように憲法解釈を見直して安保法制を整えた。
つまり、安倍政権は「現実論」に立っている。
素朴な正義論と現実論の決定的な違いは、自分の価値観を優先して考えるか、それとも日本を取り巻く環境評価から出発して政策を考えるか、という点にある。
主観的価値観が先か客観的状況が先か、
と言ってもいい。
価値観に基づく正義論にこだわれば
「日本は戦争をしてはいけない」
という結論になるが、置かれた環境を重視する現実論に立てば
「戦争を仕掛けられたら、受けて立たないわけにはいかないだろう」
という話になる。
険しい与野党対立は結局、素朴な正義論vs現実論の争いだったと総括できる。
■政治は「倫理」でも「道義」でもない
素朴な正義論の何が問題か、といえば
「正しいことを目指すのが政治であり、国のあり方だ」
と思い込んでいる点である。
残念ながら、
政治の世界では正しいことを目指すのが、いつも必ず正しいとは限らない。
政治は倫理でも道義でもないからだ。
現実には、自国の勢力を拡大したり、自分の権力を増大するためには、正しかろうが悪かろうが、倫理や道義、人の道に外れようがなんだろうが、なんでもするという国がある。
中国や北朝鮮だ。
イスラム国の残虐さもそれを証明している。
第二次大戦後、世界は少しでも正しい理想の社会に近づくために、各国が努力した。
国連はその象徴だ。国連がなんのためにできたかといえば、領土や主権を無視して乱暴狼藉を働く国が現れたら、みんなで懲罰、制裁を加えるためだ。
これは集団安全保障だが、本質的には集団的自衛権もその一環である。
だが現実には、懲罰を加えるリーダー役であるはずの安全保障理事会の常任理事国自身が公然と乱暴狼藉を働くようになってしまった。
クリミアに侵攻したロシアと尖閣諸島や南シナ海の自由航行を脅かしている中国である。
世界は素朴な正義論だけでは通用しない。
無法は現実にある。
日本が素朴な正義論を主観的に唱えているだけでは、平和と安全が守れないのだ。
野党の主張に説得力がなかったのは、自分が正しいと信じることを叫ぶだけで、無法がまかり通る現実の世界でどう日本の平和と安全を確保するのか、具体的な対応策を示せなかったからではないか。
■民主党の限界
振り返れば、かつての民主党政権も「清く正しく美しい」ことを述べ立てる政権だった。
たとえば、鳩山由紀夫首相は米軍普天間飛行場を「国外、最低でも県外」に移転すると言った。
それは理想的だったが、具体的な選択肢を持ちあわせてはいなかった。
菅直人首相は中国漁船の海上保安庁巡視船体当たり事件で、清く正しくどころか船長を釈放してしまった。
野田佳彦首相は民主党の公約だった脱官僚の掛け声はどこへやら、財務官僚と二人羽織で消費税増税を決めた。
いずれも理想的な言葉を並べてみせたが、現実に直面すると対応策を持ち合わせていなかったので、前言を翻すか(鳩山政権)、場当たり対応するか(菅政権)、官僚に丸投げするか(野田政権)しかなかったのだ。
今回の安保論争では、そんな民主党の本質が一層、浮き彫りになった。
岡田克也代表はじめ党内には集団的自衛権を容認する議員も少なからずいたはずなのに、いざ安倍政権と対峙すると、現実の脅威を置き去りにしたかのような状態で「清く正しく美しく」の観念論が大手を振ってまかり通った。
「徴兵制になる」という馬鹿げたプロパガンダは典型である。
「素朴な正義論」で言えば、日米安保条約や自衛隊にも首尾一貫して反対している日本共産党のほうがずっとマシと思った国民もいるだろう。
実際、NHK調査では共産党支持率が4.2%と民主党の半分に迫り、維新の党(0.7%)をはるか彼方に置いてきぼりにしてしまった。
維新は少し前まで2〜3%台を維持していたのに、いまや政党として風前の灯である。
分裂騒ぎの根本理由も、与党につくか野党につくかといった路線の違いというより、素朴な正義論に傾斜するか現実を見据えて政策を考えるかの違いではないか。
外交であれ安全保障であれ経済であれ、およそ政策は現状認識から出発する。
現実に目を向けず、自分の価値観に基づいて「正しいかどうか」で唱える政策は空理空論に陥りやすい。
安保論争はまさにそうだった。
それで通用するほど世界は甘くない。
世論調査の結果は、日本がようやく書生論議から脱して、国民が地に足がついた現実主義を身につけ始めた証拠である。
』
『
2015.11.10(火) The Economist
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45215
債務の貨幣化:日本の解決策
経済的リスクの詰まったパンドラの箱、
それでも意外と悪くない?
(英エコノミスト誌 2015年11月7日号)
安倍晋三首相は最善を尽くしているが、
この先の日本経済は、未知の領域に突入することになるだろう。
「世界には4種類の国がある」と、ノーベル賞を受賞した経済学者のサイモン・クズネッツは言ったとされている。
その4種類とは、
1. 先進国、
2. 発展途上国、
3. アルゼンチン、そして
4. 日本
だ。
だがいまや、先進国の多くは極めて日本的な様相を呈し、慢性的に低い金利とインフレ率、そして涙が出るほど大量の公的債務を抱えている。
それゆえ、多くの国の政府は、日本の安倍晋三首相を注視している。
経済再生を掲げて2012年に就任した安倍首相は、日本の経済的な混乱に立ち向かっているところだ。
その任務は、多くの者が理解しているよりも難しい。求められているのは、単なる成長ではなく、膨大な公的債務に対処する力を日本に与えられるだけの急速な成長だ。
■安倍首相が放った3本の矢
安倍首相は、経済成長を推進する「3本の矢」――財政、金融、構造――により、歴代政権の中途半端な政策よりもずっと強力に景気を刺激すると公約した。
今年9月には、さらに明確に最終目標を示し、過去20年の間、500兆円前後で推移している日本の名目国内総生産(GDP)を、20%増の600兆円に引き上げると表明した。
安倍首相が放った矢は、経済を正しい方向に動かしてきた。
インフレ調整前の成長率を示す名目GDPは、2012年末から約6%増加した。
その増加のおよそ半分は、物価の上昇によるものだ。
失業率も4.3%から3.4%に低下した。
だが、この進歩は、まだ全く不十分だ。
経済回復は停滞しており、第2四半期にはマイナス成長となった。
物価は再び下落に転じている。
そして、日銀が今夏ひねり出した新たな消費者物価指数、「新コア」CPIでさえ、目標とする2%の物価上昇率に届かないままだ。
通常の金融政策への回帰は、相変わらず遠いように見える。
日銀は10月30日、資産買い入れのペースを上げずに市場を失望させたが、それでも毎年80兆円の国債を購入している。
インフレ率の低迷が続けば、その額はさらに増える可能性もある。
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【輝ける時のあと】
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