2015年10月2日金曜日

ドイツ大異変! (1) :急落したメルケル人気、メルケルが“大親友”中国を見切りか!? 

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現代ビジネス  2015年10月02日(金) 川口マーン惠美
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45630

ドイツ大異変! 急落したメルケル人気
〜「盤石」と思われていた経済大国で何が起こっているのか?

■このままでは総選挙を戦えない

 今、突然、あちこちのアンケートで、メルケル首相(CDU・キリスト教民主同盟)の人気が落っこちている。

 メルケル人気は、ここ数年、破竹の勢いだった。
 SPD(ドイツ社民党)の政治家、あるいは支持者の間でも、彼女が首相である事には異議なしという人は多かった。

 その証拠に、今年7月、シュレスヴィヒ−ホルシュタイン州の州知事(SPD)が、「2017年の総選挙にSPDがメルケル氏に対抗馬を立てても無駄なのでやめてはどうか」と言いだし、党内の顰蹙を買うという一幕もあった。
 「戦わずして白旗とは何事か」と。

 ともかく、施政11年目に入った首相の座は、それほどまでに安泰。
 メルケル氏は8月初め、非公式にではあるが、4選目の出馬も匂わせていた。

 ところが、このたびの人気の急落だ。
 アンケートでは、ひとっ飛びに3位、もしくは4位にまで下がっている。
 かなり衝撃的だ。
 このままではCDUは総選挙を戦えない。党の幹部は大慌てだろう。

 思いがけない人気急降下の原因は難民問題だ。

 メルケル首相が、ハンガリーにいる難民をダブリン協定を無視して大量にドイツへ移送させていること、さらに、「政治難民の受け入れに上限はない」と豪語し、無制限の受け入れを促したことに対して、とくにメルケル氏自身が所属するCDUと、その姉妹党CSU(キリスト教社会同盟)の中で批判が膨れてきている。

 さらに、このたびのアンケートの結果では、国民の間でも批判が増していることが明らかになった。

 ドイツでは、すでに今年になって、極右グループによる難民収容施設への放火事件が相次いでおり(300件以上)、国民は、現在の難民政策が、このような極右勢力の台頭を促してしまったことも含めて、異議を申し立てているのだろう。

 また、メルケル氏の変則的な難民政策のおかげで大変な迷惑を被っているEUの他の国々でも、批判が増していることは言うまでもない。
 EU、およびドイツの難民問題の混乱に関しては、『正論』11月号で詳しく書いたので、お読みいただければ幸いだ。

■Wir schaffen es!(我々はできる!)

 ドイツにおける難民論争の最大の争点は、
 「人口8000万の国が、1年で100万人の難民を受け入れ、
 穏便に消化することができるのか?」
ということに尽きる。

 「できる」と主張する人々は、本当にできると思っている。
 なぜか? 「苦しんでいる人を見殺しにすることはできない」から、そして、「我々は善意の国民である」からだ。

 でも、どうやってそれを可能にするのか、ということは言わない。
 メルケル首相のアピールもまさにこれで、「Wir schaffen es!(我々はできる!)」。
 オバマ大統領の「Yes, we can」とおなじで、初めて聞くと、心は高揚する。

 もちろん、そんなにたくさんの難民を一度に受け入れるのは無理だと思っている人もいる。
 「上限を決めた、秩序だった受け入れが必要だ」、
 「EUの外壁になっている国を支援し、まず EUへの難民の流入を防がなければ収拾がつかなくなる」
と。

 いくらドイツが経済大国であっても、すべてがお金で解決するわけではない。
 無制限に難民が入って来れば、社会も、労働市場も、学校も、混乱してしまうだろうという警告だ。

 しかし、ドイツ人の奇妙なところは、ときどき、ある日突然、皆がこぞって理性をかなぐり捨ててしまうことだ。そ
 して、倫理観だけを前面にかざし、自己礼賛とともに、非合理の極みに向かって猪突猛進していく。

 これが始まると、それに反対する意見には、すべて非人道的というレッテルが貼られる。
 また、難民の多くがイスラム教徒であることによる社会生活上の摩擦など口にすれば、あたかも「自由、平等、博愛」精神が欠けているように叩かれるのである。

  しかもメディアがこぞって、"welcome to Germany"とか、"I love Refugees"といったプラカードを掲げた人々を、これぞドイツ人の良心とでも言わんばかりに感動的に報道する。
 それを見たドイツ人は心が洗われた気分になり、さらに自己礼賛を強め、「Wir schaffen es!」の思いを新たにする。

 こういう状態になった時のドイツ人は、自分たちを倫理の高みに置いているので、絶対に他の意見を受け付けない。
 だから、増え続ける難民に対して危機感を持っている人たちは、問題提起すらできなかった。
 下手に声をあげても、「非人道的」あるいは「極右」というレッテルを貼られるのがオチだ。

 しかし、今回のアンケートでは、ようやくその人たちの意見が反映され始めたと、私は見ている。

■ドイツ人を戸惑わせる収容施設の治安問題

 ドイツの難民政策の危うさは、すでにいろいろな形で現れ始めている。
 いくらドイツ人が"welcome精神"を持つ善良な人々であるとしても、現実は不都合な方向に進んでいく。

 ぎゅうぎゅう詰めになっている収容施設では、難民たちの暴力沙汰が増えており、27日には、ヘッセン州の施設で、コソボのアルバニア人とパキスタン人の大規模な闘争が起き、400人もの難民が暴れ、警官、難民ともに負傷者が出た。

 多くの施設では、狭いところに、やることのない若い男性が詰め込まれ、さらに、言葉も宗教も違うため、一触即発の事態が続いているという。数少ない女性が暴行されるケースも多発しているとかで、警察のパトロールはもう限界にきている。

 そのため、収容施設の治安維持には民間の警備会社も投入されているのだが、警備する側と、される側の間でも、やはり宗教の違いなどから瞬く間に諍いが起き、火に油を注ぐ結果になっている場所も多いという(警備員には外国系が多い)。

 そこで28日、警察はついに、難民を宗教別に収容すると発表した。

 この事態は、ドイツ人を戸惑わせた。
 これらの難民がドイツに留まるようになれば、彼らは、ドイツ文化はもちろん、その他のさまざまな文化や習慣を受け入れて暮らしていかなければならないのだ。
 難民収容施設ですでにそれが破綻しているのだとしたら、この先、いったいどうなるのかと、ニュースを見た人々が不安に思っても無理はない。

 先日、ポーランドをはじめ幾つかの東欧の国の政府が、難民を受け入れるならキリスト教徒を優先的に受け入れたいと言って顰蹙を買ったが、彼らの言い分にも単なる差別とは言い切れないところがある。
 ポーランドは敬虔なカトリックの国だ。
 難民庇護も大切だが、まず、国の治安と平和な国民生活を第一に考えるのは施政者の務めでもある。

 また、施設から脱走している難民もいる。
 現在、ドイツで難民の庇護申請をしている人々の40%は、アルバニア、コソボ、セルビアなどから来ている人たちだが、これらの国では内戦が起こっているわけではないため、審査後には母国に戻される運命だ。
 だから、その前に潜伏してしまうつもりのようだ。

■メルケル首相に対峙するガウク大統領

 ドイツで多大な影響力を発揮するガウク大統領は、8月26日、わざわざベルリンの収容施設に出向き、ネオナチを糾弾し、同時に、"難民welcomeカルチャー"を自画自賛したのだが、1ヵ月後の9月27日、先の発言を大幅に修正して、皆を驚かせた。
 「我々の心は広いが、受け入れ能力には限りがある」と。

 難民の受け入れにリミットがないとしたメルケル氏に対する明確な対峙である。

 それどころか同氏は、1ヵ月前のように国民を難民受け入れの方向に鼓舞することをやめ、国民の間に不満や不安が巻き起こっていることに理解まで示した。
 人道的な難民受け入れはこれからも続けるとしながらも、実際の対応としては、かなり急ブレーキを踏んだ感じだ。

 また、連立与党CSUの党首ゼーホーファー氏は、最初から難民の無制限な受け入れに反対していたが、23日、ハンガリーのオルバン首相を招待し、会談を持った。
 日頃からドイツ政府とメディアは、オルバン首相を反民主主義者と位置づけ、難民を虐待する反人権主義者のように糾弾している。

 しかし、ゼーホーファー氏のオルバン評は全く違う。
 オルバン氏はEUにとめどなく流れ込んでくる難民を防ぐため、セルビアとの国境を防衛しているのだ。
 だから、「バイエルン州はそれを支援する」と。

 Die Zeit紙は、「難民welcome共和国でのこのような歓迎ぶりをヴィクトール・オルバンはまさか期待もしていなかっただろう」と揶揄した。
 メルケル首相としては腹立たしい限りだろう。

 ミュンヘンでは、19日よりオクトーバーフェストが始まった。
 世界一のビール祭りに惹きつけられて、世界中からのお客が続々と集まってくる。
 その同じ場所に、難民たちは今日も到着する。
 9月だけでバイエルン州が受け入れた難民は17万人。
 今年のオクトーバーフェストは、おそらく長い間、ドイツの人々の記憶に残ることになるだろう。



現代ビジネス  2015年10月09日(金) 川口マーン惠美
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45745

メルケルが“大親友”中国を見切りか!? 
~急変する独メディア報道から両国関係を読み解く

■日本とドイツの中国に対する感覚の温度差

 ここ数年の中国とドイツの関係は、はたから見ていても不自然なほど濃密なものだった。

 「中国はドイツにとってアジアで一番重要なパートナー」とメルケル首相。
 毎年、両首脳が大型の経済使節団を従えて、互いの国を訪問し合っていた。
 今年3月、メルケル氏が、洞爺湖サミット以来7年ぶりに東京を訪れたことと比較すれば、その親しさは半端ではない。

 最近の中国がらみの報道で印象に残っているのは、5月の、「ドイツ鉄道は近い将来、高速鉄道の車輌を中国から輸入するつもりだ」というもの。
 記事の横に、中国の工場で製作中の「和諧号」の大きな写真が出ていた。

 中国製品の品質管理の問題をしょっちゅう聞かされている日本国民にすれば、かなりのビックリニュースだ。
 高速鉄道はハイテクの塊なのに、大丈夫なのか?

 ところが、ドイツ鉄道はそんな心配などどこ吹く風で、"made in China"と"粗悪品"が同意語だった時代は過ぎ去ったと豪語。
 その後、この話がどうなったのかは知らないが、ドイツでニュースを見ていると、日本とドイツの中国に対する感覚の温度差に驚くことは多い。

 そういえば、2011年の夏の、死者43人を出した脱線事故も、ドイツではたいして取り上げられることもなかった。

 6月にドイツで先進国サミットが開かれた時には、ニュースのアナウンサーが、
 「アジアの代表は日本ではなく中国であるべきではないか?」
と言ってのけたので、私はショックを受けた。

 日本は中国に、未だに年間300億円のODA(政府開発援助)を支払っている。
 ODAをもらっている国が、出している国を差し置いて、先進国会議の代表となるのはおかしいだろう。
 ドイツのテレビ局は何を考えているのか?

 AIIB(アジアインフラ投資銀行)に関する報道も、かなり食い違った。
 日本では、AIIBの不透明性や中国の覇権拡張に対する懸念から、参加しないほうが賢明だという慎重論が勝ったが、ドイツではそんな懸念は報道されなかった。

 それどころか、アメリカが参加しないことについて、
「中国は西側社会の分断に成功した」とか、
「アメリカと、アメリカに忠実な日本が、将来、世界で孤立するだろう」
と書いた。
 EU議会の議長(ドイツ人)も、「もっと多くの国がAIIBに参加することを望む」と言っていたが、今、AIIBは暗礁に乗り上げたのか、続報はない。

■ドイツと中国の共通点は「商売至上主義」

 それにしても、
 なぜ、ドイツと中国はこれほどまでに仲が良いのか? 
そういった質問はよく受ける。

 私なりに考えるなら、たとえば、中国はドイツから遠いので、核兵器をもっていようが、直接の軍事的脅威にはなりえないこと。
 また、過去に敵対したこともなく、1930年代、蒋介石の国民党は、ドイツ軍事顧問団の全面的な支援を受けながら日本軍と戦った経緯がある。

 中国にはもちろん、反独の動きもない。
 それどころか、中国人はドイツ人には最高に好意的だ。
 昔、夫の会社が中国でたくさんのプロジェクトを持っていたのだが、そこで見る中国人ビジネスマンは、これが反日をやっている人たちと同じ民族なのかと目を疑うほど親切で、紳士的だった。
 おだて方も堂にいっており、ドイツ人が心をくすぐられることは間違いない。

 ドイツ人の中国に対する認識は、
 「人間の数から環境汚染まですべてが桁外れの、
 世界第2位の経済力とほぼ無限の市場を持つ、
 必ずしも民主主義的ではないが、
 少し神秘的な凄い国」
というふうに要約できると思う。

 人権無視や法律違反や賄賂などは、世界を見渡せば、どこにでもある。
 つまり、別に中国の専売特許ではない。
 ロシアでもサウジアラビアでも、言論の自由は制限され、同性愛が罪だったり、男女が同権ではなかったりする。
 メキシコだって、腐敗にかけてはおそらく中国に劣らない。

 かつてのイランでは、一気に国体が変わり、外国資産は没収された。
 しかし、それらの国々とも、皆(もちろん日本も)、友好的に付き合い、貿易をする。
 多少のことは、「仕方がない」として干渉はしない。
 商売がうまくいけば、多くのことに目を瞑るのはどこの国も同じだ。

 あえて違いを挙げれば、ドイツのように、そういう国とあそこまで「大親友」のように付き合うかどうかだが、今思えば、まさに「商売至上主義」こそが、ドイツと中国の共通点だったのかもしれない。

■ミスマッチを強調しようとした報道の「意図」

 ところが、である。
 私の予感では、これから恐らく
 ドイツメディアの中国報道のトーンは急速に変化
していく。
 私に長期予想を立てるほどの才覚はないが、短期的予想としては自信を持っている。

 これからは今までのように、中国の経済大国としてのダイナミズムだけをひたすら好意的に評価して、希望的観測を流し続けることはやめるはずだ。
 また、軍事的覇権拡大への批判も始めるだろう。
 そして、人権問題や環境問題を取り上げるとき、それは中国という国の抱える構造的な問題とは別個のように扱うやり方も、少なくなっていくと思う。

 なぜ、私がそう確信しているかというと、それは9月3日、抗日戦勝70周年の記念式典の報道が、今までとあまりにも違っていたからだ。
 正直、びっくりした。

 ARD(第一テレビ)とZDF(第2テレビ)の両国営放送が揃って、天安門での大規模な軍事パレードの映像を流しながら、そこに習近平国家主席の演説(ドイツ語訳)を重ねた。
 習近平氏は、
 「世界各国は共に国際秩序と国際体制を守るべきだ」とか、
 「中華民族は一貫して平和を愛してきた」とか、
 「中国は永遠に覇権を唱えない」とか、
 「領土を拡張しようとはしない」
などと豪語していた。

 しかし、どう見ても、彼の言葉と大軍事パレードの映像はミスマッチだった。
 そのミスマッチを強調しようという報道の「意図」が、私にはありありと感じられた。
 そのとき、「ドイツにおける中国報道の潮目が変わった」と思ったのである(この演説の全文は、こちらのサイトで読むことができる)。

 思い返せば、数ヵ月前から少し、その兆候はあった。
 控えめにではあるが、中国の成長停滞、景気減退、シャドーバンクの存在などを伝える報道が出始めていた。
 これまでは、日本でしばしば取り上げられるような中国経済の危うさというものは、少なくとも一般向けのニュースではほとんど報じられなかったのだ。

 ひょっとすると、ARDとZDFは、あまりにも偏向してしまっていた中国報道の軌道修正をするチャンスを待っていたのではないか?

 もし、そうならば、この戦車の行進の映像と習近平のスピーチというコンビは、まさに千載一遇のチャンスであった。
 これなら、局がコメントを入れる必要もなく、視聴者の自主的判断に委ねる自然な形でかなりの軌道修正できる。きっとそうに違いないと、私は思った。

■ドイツの中国報道は過渡期にある

 それから20日足らず、習近平氏はアメリカに飛んだ。
 これについての報道は、ドイツの中国、およびアメリカに対する屈折した感情をよく表していたように思う。

 まず、23日のハンデルスブラット紙(経済紙)のオンライン版が、「オバマは中国にとって2番目(B級品の意・訳注)」というタイトルで、習近平がオバマ大統領に会う前に、まず西海岸でマイクロソフトやグーグル、アップルなどのマネージャーと思い存分、商売を語り合ったことを挙げ、アメリカ政府やオバマ大統領がおろそかにされたと主張した。

 ドイツ人は基本的にアメリカが嫌いだ。
 軽んじることのできる機会は逃さない。
 しかも、スノーデンのせいでアメリカの諜報機関の盗聴が明るみに出て以来、アメリカ政府は、これらITの先端企業において、その影響力を失ってしまっていると同紙は書いた。

 一方、Die Welt紙のオンライン版も、習近平とオバマの首脳会談を、やはり否定的に報じた。
 中身は、米中の不協和音を強調するもので、晩餐会のためにドレスアップした習近平の、不機嫌そうな能面のような表情をとらえた写真がくっついていた。

 ドイツのメディアの言いたいことを要約すると、
 「習近平はアメリカ政府には歓迎されなかった」
ということらしい。
 ここから出てくる結論は、
 ドイツメディアは、アメリカとも中国とも距離を置こうとしている、
ということだ。

 実際、中国のサイバー攻撃の問題がくすぶっており、米中首脳会談があまり円満に行かなかったことは本当らしい。
 成功に見せるために両国はCO2を持ち出したとも言われている。

 中国は、地球温暖化防止のため、国内で排出権取引制度を採用すると約束したようだが、世界の2大CO2排出国が積極的な姿勢を示して範を垂れているのは、端から見るとかなり白ける。
 京都議定書に背を向けて勝手なことをしてきたのは、この2国だったのではないか。

 話が逸れてしまったが、いずれにしても、ドイツの中国報道は過渡期にある。
 特にこのたび、
 中国はボーイング社に300機のジェット機(ボーイング社の発表によると価格は計380億ドル)を注文したので、
 ドイツは腹の虫がおさまらなiい。
 前回ドイツで、中国が注文したエアバス機の数は、私の記憶では50機だった。

■これからの独中関係は、あまり儲からない?

 もう一つ腹の虫がおさまらないのは、習近平とビル・ゲイツの商売の中身だ。
  今年7月、ビル・ゲイツ氏は、再生可能エネルギーに5年間で2,500億円の金額を投資することを明らかにした。
 ただし、この場合の再エネというのは、太陽光でも風力でもなく、原子力だ。

 産業国の電力供給には、太陽光発電があまり役に立たないことは、今、急速に明らかになってきている。
 そこでビル・ゲイツ氏は、CO2を出さず、しかも本当に使えるエネルギーとして、核廃棄物(劣化ウラン)を使って発電する技術を開発するつもりらしい。

 脱原発を掲げ、太陽光を増やし、そのために必然的に褐炭火力が増え、CO2が増えてしまっているドイツにとって、ビル・ゲイツ氏のイニシアティブは嬉しくはないだろう。
 しかも、そこに中国が加わるのである。

 ちなみに、ドイツの太陽光ビジネスで大儲けしたのは、格安ソーラーパネルを売りまくった中国であった。
 増えすぎた太陽光は、ドイツにいろいろな意味で負担となっている。

 そのうえ、中国の景気減退、およびフォルクスワーゲンのディーゼルゲート事件もあり、これからの独中関係は、あまり儲からない関係になる可能性がある。

 そう思っていたら、10月5日、メルケル首相はインドに飛んでいた。
 外務大臣など4人の閣僚と大勢の企業ボスが同伴。
 この国は近い将来、人口で中国を越えると言われている。
 原発容認から脱原発へと180度の転換さえ辞さなかったメルケル首相だ。
 中国に見切りをつけるのも、結構早いのかもしれない。



現代ビジネス 2015年10月13日(火) 週刊現代
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45705

日本人が知らない「EUの盟主」ドイツの正体
~VW事件を生み出した「傲慢」「自賛」体質とは
独在住作家が分析

  フォルクスワーゲンの不正は、同社78年の歴史の中で最大の危機であるだけではない。
 ドイツの産業、国家、そして国民全体が深い傷を負うことになりそうだ。
 勝ち組から一転。
 世界はこの国に疑惑の目を向け始めた。

■「真面目で勤勉」は過去のものに

 ドイツ人のイメージといえば、真面目で、勤勉。
 おそらく昔はそうだったのでしょう。
 これが今でも定説のように語られていますが、現在のドイツ人は実は休暇が大好きで、病欠も多い。
 必ずしも勤勉とは言えません。

 ただ、労働時間が少ないわりには生産性が高い。
 それを彼らは自慢に思っており、特に最近のEU(欧州連合)での一人勝ちもあり、少々鼻が高くなっていたかもしれません。

 とはいえ、今回のフォルクスワーゲン社の不正事件は、やはり信じられないことでした。
 ドイツの国民自身も大きなショックを受けています。
 いったいドイツは何を間違ってしまったのでしょう。
 ドイツ人の心に潜む「歪み」のようなものが噴出したのか。
 それとも、実力を蓄えた彼らは、いつの間にか傲慢になっていたのでしょうか。

 川口マーン惠美氏。
 作家、ドイツ・シュトゥットガルト在住。『住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち』(講談社刊)が約20万部のベストセラーになるなど、その鋭い日独文化比較が注目を集める。
 そんな川口氏が、フォルクスワーゲン不正事件から「ドイツ人の失敗」を読み解く。

 ドイツ人というのは、私が見る限り、正しい人間でありたいという願望のとても強い人たちです。
 倫理的でありたい、正しい行動を取りたい。
 つまり、周囲から尊敬される人になりたいのです。

 そして、正しいと思う行動を取れるとき、彼らは大変幸せで、心洗われた気分になり、自己陶酔に陥る。
 そういう場合のドイツ人の自画自賛たるや、相当なものです。

 さらに彼らの奇妙なところは、ときどき皆がこぞって、突然、理性をかなぐり捨ててしまうことです。
 そして、倫理観だけを前面にかざし、自己礼賛とともに、非合理の極みに向かって猪突猛進していく。
 こういう状態になった時のドイツ人は、大変情緒的で、絶対に他の意見を受け付けません。

 その良い例が、ドイツの脱原発です。

 そもそも、遥か遠い福島で起こった原発事故で、日本人以外でこれほど大騒ぎした国民はドイツ人の他にはいません。
 ドイツではガイガーカウンターまで売れたのです。

 その挙句、'11年6月に、2022年リミットでの脱原発を決め、政治家も国民も一丸になった。
 彼らの心は、自分たちは自然を愛し、拝金主義とは一線を画す気高い国民であるという誇らしさで満たされました。

 しかし、です。

 政府は、原発の電気を再生エネルギーで賄うつもりでしたが、再エネはいくら増えても一大産業国の電力を安定供給することはできません。
 何しろお天気次第ですから。
 そのため、再エネは急増していながら、結局、原発の減る分は火力で賄っています。
 ですから今、ドイツでは、再エネの買い取りのための賦課金で電気代が高騰するばかりか、CO2も増えています。

 さらに、北ドイツの風力電気を南ドイツの電気消費地に運ぶ送電線は住民の反対で進まず、とにかく問題山積みです。
 2022年までにCO2をこれ以上増やさず、どうやって原発を止めれば良いのか。
 これもすべては、政治家と国民の一時の自己陶酔の結果なのです。

■非難されるとすぐ攻撃する

 最近、欧州全体を移民問題が騒がせています。この移民問題へのドイツ政府の対応を見ていても、ドイツ人の悪い癖が出ていると感じます。

 9月初旬、シリアやアフガニスタンからの移民が漂流し、本当に気の毒なことになっていました。
 それを見たドイツのメルケル首相は「政治難民の受け入れに上限はない」と大見得をきって、難民のドイツへの移送を決めた。

 国民の多くもそれを支持し、それをドイツメディアが人道的と褒め称えた。
 ドイツはいっぺんに、ウェルカム・トゥー・ジャーマニー一色になりました。

 しかし、まもなくバイエルン州のミュンヘン中央駅に続々と難民が到着し始めると、ドイツはパニックに陥ります。
 そして、一時的にドイツ—オーストリア間の国境を閉めるという事態にまで発展。
 主要道路でも国境での検問が始まり、あちこちで大渋滞も起きました。

 9月だけでバイエルン州には、17万人の難民が入ったようです。
 ドイツ全体では、今年1年で100万人近くになるだろうと言われています。
 メルケル首相の人道主義が難民に希望を与えたからです。

 しかし、すぐに破綻するこの善行は、本当に「英断」だったのでしょうか。
 他のEU諸国ではメルケル首相のスタンドプレーに対する批判が続出しています。
 それに対してドイツは、他国にも難民の引き取りを促す。
 非難されるとたちまち攻撃に転ずるのも、ドイツ人の特徴です。

 そして、フォルクスワーゲンの不正問題です。
 燃費が良くて、パワーがあって、なおかつ環境によい。
 そんなディーゼルエンジンを作り上げ、世界中で大儲けしたいという野望があったことは間違いありません。
 フォルクスワーゲンの経営陣にとっては、心がくすぐられるチャレンジに映ったのでしょう。

 実際には、なかなかそんな夢のようなディーゼルエンジンは開発できない。
 しかし、自分たちにはできるはず。
 そう思っているうちに魔が差した?要は、ばれなければ良い……。

 もし、彼らがこんな考えにとらわれていたのだとしたら、何かが狂ってしまっていたとしか思えません。
 おそらく不正をしていたという自覚もなかったのではないでしょうか。
 これは傲慢なことです。

 東西ドイツの統一は1990年。西ドイツが東ドイツという破産国を抱え込む形でしたから、ドイツは経済的に一時困窮しました。
 '98年から'05年まで首相を務めたシュレーダー氏は『アジェンダ2010』という大胆な構造改革を断行し、それまでの「手厚い社会保障」にすらメスを入れました。

 その後、改革の効果はゆっくりと現れ始め、2010年頃になって初めて成長という果実をもたらしました。
 ですからドイツ人には、自分たちが進めてきた構造改革に対する強い自負があります。
 だから、南欧の破綻国にもそれを強いるのです。

 しかし今、EUではドイツのやり方に批判の声が聞かれます。
 ドイツの交易はEU圏内がメインなので、ドイツが輸出超過になれば、EU内には必ず輸入超過になる国が出る。
 そもそも、異なる経済力の国が同じ通貨を使えば、経済力のあるドイツにとってユーロは常に安く、輸出は伸びる一方です。
 そして、他の国々はいつの間にか、輸出など夢に見るしかなくなってしまいました。

 しかし、ドイツ人からすれば、この事実は受け入れがたい。
 自分たちが成長できたのは勤勉と努力の結果だと思っています。
 ギリシャをはじめとする南欧の国々の経済が低迷しているのは、彼ら自身の責任だと考えるわけです。

 そこで援助の条件に、過酷な金融引き締めを要求し、「上から目線」、つまり傲慢だと憎まれる。
 両者の意見は、今や完全にすれ違ってしまっています。

■驕れる者は久しからず

 フォルクスワーゲンの不正問題は、ドイツ人の「高い鼻」を折るには十分な一大事件です。
 ドイツ国内はまさにパニック状態が続いています。

 倫理的に正しい国民であったはずのドイツ人が、よりによって不正をしていたということは、ドイツ人を非常に戸惑わせています。
 ドイツ人はドイツ車に強いアイデンティティーを感じています。
 中でも、国民車であるフォルクスワーゲンはドイツ人の誇りそのものです。
 ドイツ人にとってはフォルクスワーゲンの醜聞は自分自身の醜聞なのです。
 下手に弾劾すれば、自分自身を弾劾することになりかねない。

 そのうえ、ドイツ人は、「実務的」にもどうすればよいのかわからずに、困惑しています。

 ドイツでは消費者のクレームに対応するのは、メーカーではなく販売会社です。
 しかし、今回、販売会社もいわば被害者で、今のところクレームに対応する術を持ちません。
  現在の法律では米国のような集団訴訟はできませんが、今、メーカーに対してそれをできるようにしようという声さえ上がりはじめました。

 フォルクスワーゲン社が一刻も早く対策を打ち出さなければ、あちこちで不満が募り、ますます事態が混乱するでしょう。

 そうした中で、私が危惧しているのは、ドイツ人がこの危機を抜け出すために、外部に「敵」を見出すのではないかということです。

 たとえば、ドイツの成功をねたんで陥れようとする国=米国、ドイツの不幸を利用しようとする姑息な国=日本、といった風に、です。

 不正が発覚した後の9月22日のこと。
 ドイツの公共放送ZDFのニュース番組に経済専門家が登場し、いかにも憎々しいといった風に次のように語っていました。

 「今回の事件で我々の車の品質に傷がつけば、他国のメーカーの力が増す。
 そうなれば、『ワンダフル!』と言いながら、他国のメーカーがその隙間に入り込む。
 たとえば、トヨタだ!」

 ドイツの公共放送がトヨタを名指しで、ドイツの災いを喜ぶ「敵」として扱っているわけです。
 彼らは惻隠の情という言葉を知りません。

 他にも「おやっ?」と思うことはあります。
 不正発覚当初、野党の緑の党が、「国交大臣は、この不正を知っていたのではないか」と指摘したのに、与党にさりげなく否定されたまま、以後、その話が一切出ないことです。

 ドイツでは、産業界と政界は非常に関係が深い。
 言い換えれば、産業界と政界が協力し合っているから、ドイツ経済はここまで順調に発展したのです。
 ただ、「協力」はときに、限りなく「癒着」に近づく場合も多い。

 ドイツの自動車関連産業は7人に1人が働くまさに基幹産業で、ドイツ政府と手を取り合って進んできた歴史があります。
 中でもフォルクスワーゲンは、本社を置くニーダーザクセン州政府が同社株の20%を保有する大株主で、監査役会には州知事が加わっています。

 しかも、新たに分かってきた情報では、不正ソフトは'07年あたりから、すでに問題になっていたというのです。
 知っていた政治家がいたとしても、不思議ではありません。
 なのに、それを追及する声が一切出てこないのは、かえって不自然です。

 フォルクスワーゲンはこれまでずっと、政界の全面的バックアップを享受してきたはずです。
 しかも、ドイツ経済の強化に貢献してきたのは自分たちとの自負もある。
 だから、自分たちの不正が摘発されるわけはないという思いあがりがあった可能性はないでしょうか。

 戦後、何もないところから始めたドイツと日本は、両者とも経済大国として蘇りました。
 そして、ドイツはこの15年、政治大国としても軍事大国としても急激に伸びてきました。
 その間に、どこかに歪みも生まれたのでしょう。
 今回の事件を見ると、驕れる者は久しからずという言葉が、ふと頭に浮かぶのです。


「週刊現代」2015年10月17日号より