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●Japan's independent kids I The Feed
2015/09/07 に公開
By Western standards, Japanese culture emphasises independence and self-reliance from an extraordinarily young age.
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レコードチャイナ 配信日時:2015年10月5日(月) 8時20分
https://www.youtube.com/watch?v=P7YrN8Q2PDU
日本の小学生の通学風景を紹介したオーストラリアの番組に、韓国ネット感慨
=「自分だったら無理」「東京でホームステイした時は…」
2015年10月2日、日本では小学生から子どもだけで登校するのは珍しくないことだが、
このたび韓国のインターネット掲示板に「日本の小学生の登校風景」と題したスレッドが立ち、
その登校の様子にネットユーザーも興味津々のようだ。
スレッド主は、豪州の番組「The Feed」の動画を掲載している。
そこには「Send the beloved child on a journey(かわいい子には旅をさせよ)」と題して、
日本の小学生が自宅で準備をし、学校に行くまでの様子が紹介されている。
東京に住むある女子児童は、着替えから髪のセット、持ち物の整理など、朝の身支度はほとんど一人で行う。
そして、一人で最寄り駅から電車を乗り継いで通学しているという。
番組では、西洋の小学生の登校風景も紹介されているが、こちらは一人ではなく、親が身支度を手伝ったり、通学に付き添ったりする様子がうかがえる。
これを見た韓国ネットユーザーは、さまざまなコメントを寄せている。以下はその一部。
「小学生が(電車の)乗り換えまでするの?」
「自分が小1で電車通学するって考えたら、ちょっと無理な気がする」
「欧米の登校風景が当たり前なんじゃない?
自分が通学している時は安全だったけど、最近は…」
「最近の韓国は小学校前に送り迎えの車がわんさかある」
「自分も子どもができたら送り迎えするつもり。
小4までは一人で登校させるのは危険だと思う」
「こういう(一人で登校する)ケースは少ないんじゃない?
東京でホームステイした時、ホストマザーが子どもを毎日送り迎えしてたよ」
「レアなケースを一般化してるだけ」
「外国は日本や韓国のように公共交通が発達してないし、国も大きいから親が送り迎えをするんだよ」
「安全のために一人では何もできないように育てておきながら、大人になったら創造力を発揮することを期待される韓国(笑)」
「これも教育の一つ。
世の中を一人で生きて行けるように教えているんだ」
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サーチナニュース 2015-11-13 16:57
http://news.searchina.net/id/1594204?page=1
日本の子どもには自立心がある、
それに比べてわが国は・・・=中国メディア
子どもの教育に関心の高い中国人の保護者にとって、日本の子どもは自立心の高さにおいて理想的と捉えられているようだ。
中国メディアの網易は12日、中国の雑誌「世界博覧」に掲載された
「日本の子どもはなぜ自分で登下校するのか」
と題する記事を紹介した。
記事はまず、日本では小学校に入学すると自分で登下校するのが慣例になっていることを紹介。
この点について専門家が、
「子どもは問題に直面する必要がある。
迷子になったり、遅刻したりしても、子どもが自ら問題の解決策を探す必要がある」
と述べていることを伝えた。
さらに、日本では
「指導員を配置したり、集団下校を実施したりするなど、安全対策がしっかりなされている」
と評価。
PTAの存在も子どもの登下校の際の交通安全を確保する面で大きな役割を果たしていると紹介し、あくまでも子どもが自立して登下校できる環境を保護者や教員、地域の人びとが努力のうえに構築していることを称えた。
また、近年の日本でも子どもを対象した犯罪が多発するなど、登下校時における子どもの安全を如何に確保するかという点が課題となっている。
それでも記事は、日本は世界的に見て犯罪率が低く、有事の時には知らない人に助けを求めることができるほど「知らない人でも信用できる」社会であると指摘。
中国を含め、日本以外の国では、知らない人はみな悪い人だと子どもは教わるとしつつも、日本の子どもは困った時に大人に助けを求めるという概念を学んでいると指摘した。
人口抑制策として一人っ子政策(計画生育政策)を推し進めてきた中国では、子どもに対する過保護が問題になっているとの指摘がある。
中国では一人っ子政策によって、1人の子どもに父親と母親、さらに4人の祖父母の愛情が集中し、子どもがわがままに育つという問題があった。
中国の子どもたちは、自宅から学校がどれだけ近くても校門まで保護者に送り迎えをしてもらい、カバンも保護者に持ってもらうケースが少なくない。
こうした中国の子どもたちと比べると、時には何キログラムにもなるランドセルを背負い、自らの足で登下校する日本の子どもたちに驚くのも無理はないと言えるだろう。
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サーチナニュース 2015-12-09 12:21
http://www.dailymotion.com/video/x2h8sst_kyoukai-no-kanata-07-subtitulos-en-espanol_tv
中国人には到底理解できない「子どもは風の子」=中国報道
「体を冷やすことは万病の元」という東洋医学の考えが根強い中国。
日本ではキンキンに冷やして飲むことが一般的なビールですら、中国ではぬるいまま飲む人も少なくない。
一方、日本では冬でも薄着でいる子どもが散見される。
特に女子中学生や高校生がスカートを穿いて肌を露出していることは、体を冷やすことを嫌う中国人にとっては「衝撃的」であると同時に大きな驚きのようだ。
中国メディアの捜狐は日本には、雪の日に半ズボンを履いている子どももいると伝え、
「日本の子どもたちは冬になぜ薄着なのか」
を論じる記事を掲載した。
記事は
「日本の子どもはどうして皆寒さを恐れないのか?」
と疑問を呈し、保育園児が皆薄着であることを紹介。
さらに、
「日本の小学生の冬服はすべて半ズボン・ミニスカート、それでも子どもたちは風邪を恐れない」
と大げさに情報を伝えている。
冬でも薄着である理由として
「動きやすさ」を挙げている。
中国では身動きの取れない程服を着ている子どもも大勢おり、動きにくいのも当然だ。
また、「免疫力を高める」、「日本は暖房設備が完備されている」といった納得できる理由も挙げつつ、「室内で素足だと滑りにくい」とも述べ、靴下を履いていると容易に滑って転ぶ、素足だと足のつぼが刺激されると考察している。
一方、なぜ中国の子どもは薄着ではないのか。
1つは前述のとおり、東洋医学の影響で体の冷えを極端に嫌うことが考えられる。
日本を訪れる中国人旅行客が水筒を常に持ち歩いている様子を見たことがある人もいるであろうが、水筒のなかには温かい飲み物が入っている。
外出中でも日本人のように自動販売機で冷たい飲み物を購入して飲む人は決して多くない。
もう1つには中国人は子どもに対して過保護ということも挙げられるだろう。
一人っ子政策の影響か、子どもを溺愛する親は多く、本来経験する必要のあることからもわが子を守りたいという意識が働くのではないだろうか。
中国では妻が子どもに風邪を引かせてしまい、夫が激昂する様子を目にすることもあるほどだ。
日本に存在する「子どもは風の子」という言葉は、中国人にはなかなか理解し難い言葉なのだ。
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レコードチャイナ 配信日時:2015年12月6日(日) 6時0分
http://www.recordchina.co.jp/a124512.html
日本の大都市はなぜ摩天楼を好まないのか―中国メディア
2015年12月4日、東京都は日本で面積が3番目に小さい地方自治体であるため、当然土地の値段は高い。
ならば高層の建物が建てられることになるのかというとそういう訳ではなく、実際は環境や歴史、人々の考え方などさまざまな理由から、にぎやかではあるものの「高さ」は好まれていない。
中青在線が伝えた。
日本に来た中国人の多くが東京の建物は思ったよりも高くないことに気づく。
また、普通の住宅街に一歩足を踏み入れると10平方メートルちょっとの小さな戸建や平屋が立ち並び「日本の大都市はこんなにこじんまりしていて、数多くの摩天楼が立ち並ぶ中国の大都市とは趣が全く異なる」と感じるだろう。
しかし
「こんな都市でも、どこに行っても常に青空を眺め、陽光にあたることができて、
圧迫感がないというのはいいものだ」
とうらやましく感じるかもしれない。
実際は外国人が現在目にする東京は以前に比べ随分高くなっている。
30数年前に初めて日本に訪れた時、この都市はもっと開けている感じがした。
ここ数年、湾岸地区にはたくさんのビル型建築物が建てられ、さらにオリンピックと中国人の不動産購入ブームも重なり、増築がさらに進んでいる。
都市の風の通り道が次第にふさがれていったことは夏場の「ヒートアイランド現象」と無関係ではあるまい。
理由を調べてみると、日本は確かに地震や台風に耐えうる1000m級の摩天楼を建造する能力を有しているが、この国の建築業者のほとんどが、高さが500mを超える建築物は大量のコンクリートでその強度を維持しなければならず、広い内部空間を確保できないため、ランドマークとしての用途でしか利用できず、人が居住するのにふさわしくないと考えており、そのためこのようなブームに迎合していない。
もう一つには歴史的な伝統がその理由に挙げられる。
日本は明治時代になってようやく3階建てが許されたほどで、平屋の歴史が非常に長かった。
また東京は明治5年(1872年)に大火災が発生し、「銀座レンガ街計画(銀座規則)」が制定され、建築物の高さは道の広さにあわせるように要求された。
このように安全面または景観の上からも道理に適っており、人々の心に深く根付いている。
また東京の建築物が外国人が思うほど高くないのは、「日照権」という概念が特別発達しているせいであるかもしれない。
建物を建てる際にはその周囲の住民の日照権を妨げてはならず、多くの住宅街では10mの高さ制限のほか、屋根の角度まで厳格に規定されている。
そのため、日本の大都市はこれからも美しい「東京日和」を維持できるだろう。
著者:劉黎児
日本に住むベテラン報道人で著名な作家。台湾大学歴史科を卒業し、台湾大学歴史所に勤務。1982年に来日し、台湾紙「中国時報」駐日特派員、東京支局長を経て、現在は作家として活躍している。
(提供/人民網日本語版・翻訳/TG・編集/武藤)
』
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レコードチャイナ 配信日時:2015年12月17日(木) 7時10分
http://www.recordchina.co.jp/a125214.html
日本の若者はなぜ高級車に夢中にならないのか?―中国紙
2015年12月15日、非常に興味深い現象として
1990年代と比較すると、現在の日本における自動車販売量は当時の半分しかない。
しかも若者の自動車離れが進んでいるようだ。
長江商報が伝えた。
一方、中国において、ここ数年の自動車販売量は1990年代に比べすでに十数倍になっている。
日本国内でジリ貧する自動車市場に比べ、中国の自動車市場はまさに驚くべきスピードで急成長を遂げている。
なぜ日本ではだんだんと車が売れなくなったのか、
疑問に思えてならない。
▼独特な「痛車(いたしゃ)」文化
日本の調査機関がかつて発表した調査結果によると、女性の多くが車は単なる移動手段で、特に何の感情も持っていない。
男性では30歳以上のグループにおいて、車に対して特別な感情を持っているようだ。
ところが、30歳以下の若者グループでは男女問わずそのような感情を持つ人が減少している。
これは恐らく多くの人の予想に反する結果かもしれない。
若者の車に対する興味が段々と低下しているとしても、一部の人はまだ車に対して極めて特別な感情があることが見てとれる。
それによって、目下、日本では専門の自動車改造ショップが依然として少なくなく、「痛車(いたしゃ)」(車体に漫画・アニメ・ゲームなどに関連するキャラクターやメーカーのロゴをかたどったステッカーを貼ったり、塗装を行うなどして装飾した自動車のこと。
発信地は日本)文化も今なお流行している。
▼車とメンツは無関係
中国国内においてはこの問題に対する答えは非常に明確であるが、一方、日本ではこの問題に対して一概には答えられない。
日本には大勢の金持ちがいるが、
とりわけ比較的富裕層の中流階級が車に対してほぼ何のニーズもないのだ。
なぜ多くの若者が車に興味がないのか?
彼らにとって車は確かに移動のためのツールでしかないのだ。
日本の若者からすれば、就職して1、2年もすればほぼ自分の車を購入することができ、車をハイグレードなものとは考えていない。
(提供/人民網日本語版・翻訳/JK・編集/武藤)
』
レコードチャイナ 配信日時:2015年12月6日(日) 6時0分
http://www.recordchina.co.jp/a124512.html
日本の大都市はなぜ摩天楼を好まないのか―中国メディア
2015年12月4日、東京都は日本で面積が3番目に小さい地方自治体であるため、当然土地の値段は高い。
ならば高層の建物が建てられることになるのかというとそういう訳ではなく、実際は環境や歴史、人々の考え方などさまざまな理由から、にぎやかではあるものの「高さ」は好まれていない。
中青在線が伝えた。
日本に来た中国人の多くが東京の建物は思ったよりも高くないことに気づく。
また、普通の住宅街に一歩足を踏み入れると10平方メートルちょっとの小さな戸建や平屋が立ち並び「日本の大都市はこんなにこじんまりしていて、数多くの摩天楼が立ち並ぶ中国の大都市とは趣が全く異なる」と感じるだろう。
しかし
「こんな都市でも、どこに行っても常に青空を眺め、陽光にあたることができて、
圧迫感がないというのはいいものだ」
とうらやましく感じるかもしれない。
実際は外国人が現在目にする東京は以前に比べ随分高くなっている。
30数年前に初めて日本に訪れた時、この都市はもっと開けている感じがした。
ここ数年、湾岸地区にはたくさんのビル型建築物が建てられ、さらにオリンピックと中国人の不動産購入ブームも重なり、増築がさらに進んでいる。
都市の風の通り道が次第にふさがれていったことは夏場の「ヒートアイランド現象」と無関係ではあるまい。
理由を調べてみると、日本は確かに地震や台風に耐えうる1000m級の摩天楼を建造する能力を有しているが、この国の建築業者のほとんどが、高さが500mを超える建築物は大量のコンクリートでその強度を維持しなければならず、広い内部空間を確保できないため、ランドマークとしての用途でしか利用できず、人が居住するのにふさわしくないと考えており、そのためこのようなブームに迎合していない。
もう一つには歴史的な伝統がその理由に挙げられる。
日本は明治時代になってようやく3階建てが許されたほどで、平屋の歴史が非常に長かった。
また東京は明治5年(1872年)に大火災が発生し、「銀座レンガ街計画(銀座規則)」が制定され、建築物の高さは道の広さにあわせるように要求された。
このように安全面または景観の上からも道理に適っており、人々の心に深く根付いている。
また東京の建築物が外国人が思うほど高くないのは、「日照権」という概念が特別発達しているせいであるかもしれない。
建物を建てる際にはその周囲の住民の日照権を妨げてはならず、多くの住宅街では10mの高さ制限のほか、屋根の角度まで厳格に規定されている。
そのため、日本の大都市はこれからも美しい「東京日和」を維持できるだろう。
著者:劉黎児
日本に住むベテラン報道人で著名な作家。台湾大学歴史科を卒業し、台湾大学歴史所に勤務。1982年に来日し、台湾紙「中国時報」駐日特派員、東京支局長を経て、現在は作家として活躍している。
(提供/人民網日本語版・翻訳/TG・編集/武藤)
』
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レコードチャイナ 配信日時:2015年12月17日(木) 7時10分
http://www.recordchina.co.jp/a125214.html
日本の若者はなぜ高級車に夢中にならないのか?―中国紙
2015年12月15日、非常に興味深い現象として
1990年代と比較すると、現在の日本における自動車販売量は当時の半分しかない。
しかも若者の自動車離れが進んでいるようだ。
長江商報が伝えた。
一方、中国において、ここ数年の自動車販売量は1990年代に比べすでに十数倍になっている。
日本国内でジリ貧する自動車市場に比べ、中国の自動車市場はまさに驚くべきスピードで急成長を遂げている。
なぜ日本ではだんだんと車が売れなくなったのか、
疑問に思えてならない。
▼独特な「痛車(いたしゃ)」文化
日本の調査機関がかつて発表した調査結果によると、女性の多くが車は単なる移動手段で、特に何の感情も持っていない。
男性では30歳以上のグループにおいて、車に対して特別な感情を持っているようだ。
ところが、30歳以下の若者グループでは男女問わずそのような感情を持つ人が減少している。
これは恐らく多くの人の予想に反する結果かもしれない。
若者の車に対する興味が段々と低下しているとしても、一部の人はまだ車に対して極めて特別な感情があることが見てとれる。
それによって、目下、日本では専門の自動車改造ショップが依然として少なくなく、「痛車(いたしゃ)」(車体に漫画・アニメ・ゲームなどに関連するキャラクターやメーカーのロゴをかたどったステッカーを貼ったり、塗装を行うなどして装飾した自動車のこと。
発信地は日本)文化も今なお流行している。
▼車とメンツは無関係
中国国内においてはこの問題に対する答えは非常に明確であるが、一方、日本ではこの問題に対して一概には答えられない。
日本には大勢の金持ちがいるが、
とりわけ比較的富裕層の中流階級が車に対してほぼ何のニーズもないのだ。
なぜ多くの若者が車に興味がないのか?
彼らにとって車は確かに移動のためのツールでしかないのだ。
日本の若者からすれば、就職して1、2年もすればほぼ自分の車を購入することができ、車をハイグレードなものとは考えていない。
(提供/人民網日本語版・翻訳/JK・編集/武藤)
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