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ダイヤモンドオンライン 2015年9月25日 朽木誠一郎
http://diamond.jp/articles/-/78908
働かないおじさんがウヨウヨ?
「限界集落職場」は急増するか
少子高齢化により、生産年齢人口の減少が見込まれる日本社会。企業でも若手社員の割合が減る一方、シニア社員の割合が増加しそうだ。
そんな兆候がすでに出始めているためか、最近世間の若手社員からは、
「働かないおじさんが以前よりも増えて、自分の仕事がきつくなった気がする」
という悲鳴が聞かれる。
社員の高齢化に伴い、今後こうした人々は本当に増えていくのか。
そうだとしたら、企業は彼らをどのように再教育・活用すればいいのか。
働かないおじさんが跋扈し仕事がマヒする「限界集落職場」の課題を考える。
(取材・文/朽木誠一郎、編集協力/プレスラボ)
■働かないおじさんが急増?
「限界集落職場」が増える予感
多くの高齢社員を少ない若手社員が支える職場の到来に備えて、働かないシニアの意識を変えて行く必要性は大きい
少子化高齢化は喫緊の課題である。
平成24年の内閣府の調査によると、日本はこれから長期の人口減少過程に入る。
2026年に総人口1億2000万人を割り込み、
2048年に総人口1億人を下回る9913万人に。
さらに
2060年には、総人口8674万人
になると推計されている。
一方、高齢者人口(65歳以上の人口)は2042年まで増加の一途をたどり、3878万人でピークを迎え、その後は減少に転じる予測だ。
高齢化率(総人口に占める高齢者の割合)は2035年に3人に1人、
2060年には約2.5人に1人
という社会が到来する。
このような少子高齢化による社会への影響は、しばしば企業の経営戦略の観点で語られるが、人事戦略についてはどうだろうか。
総務省が発表している年齢階級別就業者数によれば、2015年7月現在で、全就業者数5644万人中25~34歳が1120万人、35~44歳が1501万人、45~54歳が1399万人。
総人口の推移と併せれば、向こう20年で全就業者数に占める中高年の割合はますます大きくなり、若手では小さくなることが容易に想像できる。
そんな兆候がすでに出始めているためか、最近企業で表面化しつつあるのが、中高年層が多い職場における諸問題だ。
とりわけ若手社員が指摘するのがは、
「働かないおじさんが以前より増えているのではないか」
ということだ。
総合商社に勤務する30代の中堅社員・Aさんは、50代の「働かない上司」に悩んでいる。
「動かない上司を動かして出した結果が、上司がチームを動かしたことになり、上司の手柄になる」とその理不尽さを語る。
もともと「歯医者」を理由に遅刻・欠勤を繰り返すその上司との間では、「直行直帰で終日不在にしている日もあり、本当に仕事をしているのかと疑ってしまいます」と、信頼関係はもはや成立していない。
会社自体も停滞ムードが漂う中で、個人としても成長意欲がかき立てられない職場にいるフラストレーションは大きい。
「そもそも、団塊世代の人余りで中高年に与えられる仕事が少ない」(Aさん)
という状況に愛想を尽かしつつあるAさんは、いずれ会社を飛び出すことも視野に入れている。
むろん全ての企業に当てはまることではないが、このように「限界集落化している」と若手社員に揶揄される職場が散見されるのも事実である。
限界集落とは、過疎化・高齢化が進行した集落のことで、
人口の50%以上が65歳以上の高齢者となり、自治、インフラ、冠婚葬祭などの共同体としての機能が急速に衰えて、やがて消滅に向かうとされる自治体を形容する言葉だ。
働かないおじさんが増えて、職場の機能がマヒしてしまう
ことに当てはめている。
実際には、一般的な企業の定年退職規定・人事戦略に鑑みて、65歳以上の社員が大半を占めるような職場が出現することはまずあり得ない。
しかし、働き盛りや未成年者の世代が都会に移住し、独居の高齢者やその予備軍が残る限界集落は、「働かない中高年」に若手が理不尽さを覚えるAさんの職場とダブる部分がある。
「心情的には限界集落にいる気分」と言うことかもしれない。
■「ピーターと働きアリの法則」に見るおじさんたちが働かない理由
そもそも年齢を重ねると、本当に人は働かなくなるのだろうか。
もしそうだと仮定した場合、中高年が働かなくなる理由の一端は、教育学者のローレンス・J・ピーターが提唱した「ピーターの法則」で説明できる。
「あらゆる有効な手段は、より困難な問題に次々と応用され、
やがては失敗する」
としたピーターの法則によれば、企業のような階層組織においては、構成員は順調に昇進し、やがて有能に仕事ができる最高の地位まで達するが、
そこからさらに昇進するとその地位では無能になる
という。
これは高い地位の仕事がより難しいのではなく、工場勤務の叩き上げ社員が工事長になってマネジメントに失敗するように、
要求される技術とのミスマッチが起きるためだ。
この説に照らせば、
「働かなくなる」というより「働けなくなる」という言い方がより正確
なのだろう。
しかし、このようなミスマッチが中高年層で起きると、若手にとっては悲劇でもある。
中小企業に勤務する20代のBさんの上司は40代。
とにかく仕事の効率化をさせてくれない。
管理職でありながらITを利用した業務フローの改善提案を全て却下。
Bさんがとあるウェブサービスについて「導入すれば残業しなくて済みます」と提案したところ、なんと「それじゃ給料下がるだろ」という返事が返ってきたというのだ。
こうしたタイプの上司がさらに年齢を重ね、より重要なポジションに就くようになると、職場が「限界集落化」することは目に見えている。
終身雇用が保証された組織においては、働いてさえいれば給料が支払われ続けるため、
組織の発展に寄与しない構成員が一定数生まれてしまう。
このことを生物学の観点から説明した「働きアリの法則」も有名だ。
社会的昆虫のアリは、
集団のうち2割の働きアリが勤勉に働き、
6割は普通に働き、
残り2割は怠惰で働かない。
しかし、勤勉な2割の個体のみを取り出した集団では、そこにもやはり2:6:2の割合が出現する、というものだ。
これは組織の宿命と言えるかもしれないが、ここで言う「怠惰な2割」には一部の働かない中高年社員も当てはまりそうだ。
40代で管理職をしているCさんは、中高年の年上の部下が業務時間中にPCでゲームを楽しんでいる様子に呆れている。
「ソリティア(PCに初期インストールされている無料ゲームの1つ)の腕は、ここ半年ほどでメキメキと上達しているようです」とCさん。
「最近はソリティアに飽きたのか、Googleのストリートビューで海外の景色を楽しんでいる」という。
これも怠惰なアリと一緒なのかもしれない。
また、20代の女性社員・Dさんは職場でのトラブルの顛末を次のように語る。
「隣のマンションから苦情が入ったというので、上司の命令で窓にブラインドが付いたんですが、その苦情というのがどうやら窓越しに職場のPCでアダルトビデオを見ている社員が見える、というものだったらしく……位置関係から見て、『おそらく犯人は部長だ』ともっぱらの噂です」
部長は社長とプライベートで親しく、昼間から飲みに行くこともあるほど。
「だから、絶対に社長が揉み消していると思う」とDさん。
このケースにおいては部長の非は明らかだが、問題は一概に個人の責任では片付けられない組織の難しさだ。
仕事をロクにしない限界集落職場のおじさんたちが、お互いをかばい合っている構図とも言える。
■働かないおじさんを企業が再教育・再活用するには?
こうした働かない中高年がどんどん増えていくとしたら、企業は彼らをどのように再教育し、活用すればいいいのだろうか。
少子高齢化が市場経済に及ぼす影響の中でも、労働力の構造変化には注意しておきたい。
特に、日本の経営モデルがベースにしていた終身雇用・年功序列の人材活用の変革は急務である。
これまで上意下達で知識や技術が伝承され、世代交代の際にアップデートされることで、企業は生産性を向上させてきた。
しかし、高度経済成長の終焉と日本の生産年齢人口の変動により、それが機能不全に陥っていることが、今回紹介した事例からもわかるだろう。
今後、日本社会がさらなる少子高齢化を迎えるにあたっては、既存の人的リソースをいかに適正配置するかが大きな課題になる。
職場に不幸をもたらすミスマッチは、会社組織が要求する成果や知識・技術が明示されていないことにより、起きる場合もある。
企業は崩壊しつつある終身雇用や年功序列の制度を見直し、属人ベースの雇用システムを業務内容ベースのシステムに転換する必要があるだろう。
社内教育制度や外部教育機関でのトレーニングによって、構成員それぞれの人材タイプごとに目標設定とその達成度の評価を改めて実施することで、生産性の向上を図ることができる。
垂直方向へ向かう組織ではなく、人材の能力を水平方向に広げる組織こそ、今求められているのではないだろうか。
こうした組織改革を通じた人材教育の必要性は、何も中高年社員ばかりに向けられるべきものではない。
働かない若手社員、指導しても成果を出せない若手社員に対する不満も、以前から企業には根強くあった。
しかし、これからの企業では、これまで前提とされてきた社員の年齢構成、世代交代のバランス自体が崩れる可能性がある。
多くの中高年社員を少ない若手社員が支える職場の到来に備えて、働かないおじさんたちの意識を変えて行く必要性は、やはり大きいと思われる。
中堅出版社で働く30代前半の女性編集者・Eさんはこう苦笑する。
「加齢に伴い仕事の能力が落ちるから、働かないおじさんが増えるのは仕方ない、なんて話は、これと言った根拠もなく、ただの言い訳だと思います。
要は、シニア社員が仕事に対する価値観を変えられるかどうか。
それを社員に促せないならば、もはや会社自体が限界集落化していると言える。
自分の職場を見ても、働かないおじさんのお蔭で仕事がどんどん増えている気がします。
ただ、仕事が増える原因が本当におじさんのせいか、ということは、実はあまり重要ではない気もする。
若手に『おじさんに搾取されている』と感じさせ、モチベーションを下げさせる職場の雰囲気が、一番の問題でしょう」
■働かないおじさんが企業の救世主になることだってある?
最後に、働かないおじさんたちのフォローもしておこう。
実は、前述した「働きアリの法則」には次のような追加実験がある。
働きアリは食料を見つけると、フェロモンを分泌しながら巣穴に戻り、仲間にその場所を伝える。
勤勉な働きアリはフェロモンを正確にトレースしながら食料にたどり着き、巣穴まで運搬するが、一部の働きアリはフェロモンをトレースできずに道を誤る。
この働きアリは歩き回るうちに巣穴に戻るが、
この試行錯誤は勤勉な働きアリには発見できないショートカットを生むことがあるというものだ。
このような揺らぎは、組織にイノベーションを引き起こすために必要でもあるようだ。
揺らぎがなく最適化され切った全体システムは、外的要因の変化に対して脆弱になる。
短期的な視座においては非効率でも、人材に多様性を持たせておくことは、企業の生き残り戦略でもあるのかもしれない。
働かない中高年が増えて若手の労働意欲を削ぐようなことはあってはならないが、人的リソースの適正配置や目標設定と達成度の評価が行われた末の残り2割であるならば、それはいつか会社組織を救うためのリスクヘッジになり得る存在と言えるかもしれない。
あなたの職場は「限界集落化」していないだろうか――。
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ダイヤモンドオンライン 2015年10月8日 鈴木寛 [東京大学・慶応義塾大学教授]
http://diamond.jp/articles/-/79635
ロボットと人間が対立せず、
楽しく共生できる社会づくりとは?
●将来、AI(人口知能)が人間の仕事を奪ってしまうのでは――。
そんな不安の声も聞こえてくるようになったが、ロボットと人間が対立せず、楽しく共生することはできないものか
■お台場から世界へ最先端技術を発信
ユニバーサル未来社会推進協発足の意義こんにちは、鈴木寛です。
私はラグビー・ワールドカップ(W杯)でイギリスに1週間行って参りました。
新国立競技場を2019年のラグビーW杯で利用できなくなったことを受けて、その事後対応です。
一部で報じられましたが、新国立競技場の計画見直しを受け、統括団体であるワールドラグビー(WR)関係者の中には、「日本がラグビーをリスペクトしておらず、開催を白紙にして南アに変更すべき」との声も浮上していました。渡英してすぐに、WRのラパセ会長、ゴスパーCEOにお会いし、下村大臣、黒岩祐治・神奈川県知事、林文子・横浜市長の親書をお渡しし、この間の日本の対応についてお詫びと横浜スタジアムのポテンシャルをご説明しながら、引き続き日本開催でWR内部を説得いただくよう私からもお願いしました。
2019年ラグビーW杯組織委員会の嶋津昭・事務総長らの説得、折衝のお蔭で、新国立競技場を使わずに開催することについてコンセンサスを得る道筋が、おおむね立ちました。
少し安堵いたしました。
ブライトンで行われた日本の初戦では、W杯を2度制覇した南アフリカを破る歴史的な大金星を見届ける幸運に恵まれました。
4年後を見据え、大会運営の様子を実際にリアルタイムで見ておくことはもちろんのこと、サッカーW杯のときも書きましたように、国際大会は重要なスポーツ外交の場です。
南ア戦の劇的勝利は、まさに協会関係者の印象を一挙に好転させる材料になると確信しています。
その2019年ラグビーW杯、そして2020年の東京オリンピック・パラリンピックにも関連する話ですが、私が日本を発つ直前の9月15日、文部科学省において「ユニバーサル未来社会推進協議会」が設立されました。
協議会の目的は、「先端ロボット技術におけるユニバーサル未来社会の実現」です。
宇宙飛行士の毛利衛さん(日本科学未来館館長)に顧問をお願いし、私が会長を拝命しました。
そして、後述するように、ロボット技術研究の第一人者の皆様にお集まりいただきました。
ラグビーW杯、オリンピック・パラリンピックなどの国際大会を機に、世界中からたくさんのスポーツファン、観光客がやって来ます。
その方々の主目的は当然、自国チームの応援であり、大会に感動していただいてお帰りいただきたいと思いますが、この協議会では、世界中の注目が集まるチャンスを生かし、人工知能(AI)やロボットを始めとする最先端技術に触れて、その体験を持ち帰ってもらおう、というプロジェクトを進めていきます。
オリンピックのトライアスロンの会場やメディアセンターが近くにあるお台場を会場に、ロボットがパフォーマンスを披露することを想定しています。
■ロボットを使い、生き生きと暮らす
キーワードは「コンビビアリティ」
ただ、前述のように書くと、「また博覧会的な催しが開かれるのか」と想起されるでしょう。
その理解は半分正しく、半分間違っています。
この協議会が目指している構想の意義が、半分程度しか伝わないことになります。
この協議会設立に際して、私がキーワードとして掲げるのが「コンビビアリティー」conviviality)です。
一般的になじみの薄い言葉ですが、オーストリア出身の思想家イヴァン・イリイチ(1926~2002年)が提唱した概念で、日本語では「共悦」「共愉」、つまり“みんながワイワイ楽しく、生き生きとしている様子”を言います。
これまでのロボットのイベントといえば、エンジニアが腕を競い合うコンテストといったように、エンジニアの、エンジニアによる、エンジニアのためのイベントとして開催されている側面が強かったように思います。
考えてみれば、私たちの生活において、ロボットは映画やアニメで親しんでいる割に、ドラえもんのように寝食を共にしているわけではありません。
アメリカでは軍事用、日本なら産業用といった形で使われてきたのが、主な実用シーンでした。
今回、お台場などで展開される企画では、コンビビアリティを大事にして、ロボットと触れ合うことが主眼です。
意識においているのは、協議会の名称でもあるユニバーサルな社会。
すなわち、
ロボットの力を借りて、障害の有無、言語の壁を取り払い、
誰もが生き生きと(コンビビアルに)生活できる社会です。
そこでの主役は人です。
公共交通機関がほとんどない山村に住むお年寄りを自動運転の車が運び、足に障害を抱えた人やお年寄りがアシストスーツを着て移動しやすくなります。
翻訳ロボットが外国人に道案内や観光案内をすることもできるでしょう。
聴覚障害者と健常者のコミュニケーションが円滑になる手助けにもなります。
このプロジェクトには、慶應義塾大学の田中浩也准教授、東京大学の山中俊治教授、千葉工業大学未来ロボット技術研究センターの古田貴之所長といった国内の第一人者の方々に、副会長としてご参加いただきます。
田中さんは、3Dプリンタによる新しいものづくりを世界に提案されています。
山中さんは、プロダクトデザイナーとして自動車から時計、ロボット、義足などをを多彩に手がけて来られました。
そして、古田さんは災害などの場で障害物を乗り越えるロボットを開発、原発内部で作業をするロボットがメディアで紹介されていますので、彼の開発した機種を見たことがある人もいらっしゃるはずです。
なお、もう1人の副会長は為末大さんにお引き受けいただき、社会でのロボット技術の役割について、2020年以降のソーシャルデザインの観点から提言いただきます。
■民間主導で未来を創発
新しい産官学のあり方を目指す
経済やビジネスの専門家の中には、1つの産業を「国策」的に盛り上げようと、国が前のめりになる時代が終わりつつあるというご指摘を聞きます。
確かに、政治家や官僚がプランをつくって、イノベーションを起こせるわけではありません。
しかし、使い古された言葉で言えば「産官学」が連携して、互いが持ち味と役割を発揮し、特に民間で新時代を切り開く技術、ビジネスが創発していけるよう、相乗効果を生む環境を整えていく意義は十分にあります。
その観点から、この協議会では「官」(文部科学省)と「学」(大学の研究者)のみならず、「産」「民」「自治体」などに、これから精力的に声をかけていこうと思っています。
日本や世界中の人々がロボットを身近なものとして普及できるようにするには、「産」、つまり民間企業や「民」、つまりNPOやNGO、地域コミュニティの力が欠かせません。
初日は、民間企業とマスコミの関係者を合わせて60を超える方々が傍聴され、自動車メーカー、通信会社、総合電気メーカーなどの大手から、自動運転開発で話題のネットベンチャーまで、日本国内の有望なプレイヤーにお集まりいただきました。
10月中旬を目処に参加プロジェクトを募集しますが、
「世界のイノベーション大国に追いつき、追い越せ」の精神で、
「日本から新しい時代を創発する」と意気込む民の皆様に、ぜひ手を挙げていただきたいと思います。
12月にも開催される第2回の協議会では、志のある挑戦者たちの顔ぶれをご報告できそうです。
民間主導で未来を創発しなければならない理由として、もう1つポイントがあります。
といっても、これは民間というよりも日本国政府の懐事情ですが、今回のプロジェクトに対して、政府が多額の予算を付けるのは難しい情勢です。
20年ほど前までであれば、民間が投資に消極的になるような“海のものとも山のものとも分からない”分野の研究開発に、国が投資的に支援する余裕がありました。
しかし、現下の財政状況では、それが年々厳しくなっています。
ことに最近は、実るかどうかわからない未来への投資に対して国が乗り出そうとすると、投資も消費も一緒くたにして、冷静かつ戦略的な政策論議が行われず、感情的にムダ遣いだと決めつける世論の傾向が強まっていますので、今後も政府が未来への投資をしていくのはますます難しくなっていくでしょう。
社会投資資金を税金に頼れなくなった現実を踏まえ、いかにそうした資金を集めていくかも、今回の社会実験の目的の1つだと思います。
21世紀の産官学のあり方として、「官」は、「学」と「産」が英知を存分に振るい、人材、お金、場所などの社会的リソースを集められるようにお膳立てをすることに、まず注力していくことが賢明です。
法律や規制の見直しの必要もあれば、公共性とのバランスを取りながら、できる限り民間の要望に応えていく。
国の打ち手が制約されていく中で、この未来社会プロジェクトを通じて、産官学の役割を再編集し、新たなソーシャルプロデュース、社会創発のモデルが構築されていく契機にしたいとも考えています。
■毛利衛さんが期待するメッセージ
「思いやりを土壌にしたロボット社会」
ロボットによるユニバーサルな社会が実現していく上で、私たちが価値観を時代の変化と共にどう再構築すべきなのかを問われていくのは、間違いありません。
このコラムで何度も書いてまいりましたが、2040年代にもAIが人間の知力を上回るシンギュラリティ(技術的特異点)を迎えようと言われる時代、知識の暗記を奨励するマークシート型教育から、知識を運用して自分の頭で考える教育に切り替えていくのも、価値観の転換の1つです。
今回のプロジェクトでも、たとえば従来型の展示品なら「壊れるので触らないでください」と注意していたのを、
「ご自由に触ってください。
ただし、もしも壊したら、ちゃんと自分で直していってください」
というように、変えてみたいと思います。
工業化社会の展示品は、修理する部品を外部から取り寄せるのに時間がかかりましたが、前述の田中教授が専門とする3Dプリンタによるものづくりでは、その場で復元することができるからです。
一方で、シンギュラリティの問題で問いかけられる重要なアジェンダとして、
「人間の仕事が機械によって次々と置き換えられて失業する」
といった悲観的なストーリーが挙げられます。
しかし、ユニバーサル社会での主役はあくまで人間。
技術と人の関係は単なる置き換えではなく、AIがどう人間をアシストするのか、つまり
「人間の可能性をどう拡張していくのか」
を目指しています。
第1回の協議会で、顧問を務める毛利さんが
「人間社会の将来、たとえば人工知能がどうなるか心配されているが、日本ではロボットと人間社会とが対立せず、取り込んでいくようなことが示せるのではないか」
と語られました。
その見立てというのは、オリンピック招致の際のキーワードになった「おもてなし」の精神に見られるように、日本人は「思いやり」の精神を外の人に対して持つことができていることに立脚しているようです。
毛利さんから私たち協議会に対しては、
「(思いやりを土壌にした)ロボット社会を築くとことが、メッセージとして世界に広がっていくことを期待しております」
と激励されました。
プロジェクトでは、単なるイノベーションの奨励にとどまらず、人間と人間、日本人と外国人、健常者と障がい者、そして人間とロボット(場合によればペットも)が手を取り合う社会のあり方という哲学を、日本から提案していきたいと思います。
ぜひこのコンセプトにご賛同・ご協力いただければ幸いです
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DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー 2015年10月10日
http://www.dhbr.net/articles/-/3540
人工知能について考えることは
仕事の本質を考えること
ハーバード・ビジネス・レビューの最新号では、いま話題の「人工知能」を特集。
新しい技術が社会や人の生活をどのように変えるか。
この問題を考える上で人工知能は恰好の材料である。
■新しい技術が生み出す期待と不安
IT技術の発展により、社会は日々変わっていく。
新しい画期的な商品やサービスが生まれるというニュースに胸躍る一方、新しい技術が入ってきたことで生活や仕事が急速に変化することへの不安も生じています。
新しい技術が生み出す期待と不安――この現象の象徴ともいえるのが人工知能(AI)の登場ではないでしょうか。
もともと道具や機械は人間を助けるために生まれてきました。
その機械が、人間を超えるとどうなるか。
レイ・カーツワイル氏が
コンピュータの能力が人間の能力を超えるタイミング、
すなわち
「シンギュラリティ」が2045年に起こる
と提唱したことなど、機械の発展に対する不安がさらに顕在化した感があります。
そんななかいま話題を集めているのが人工知能です。
コンピュータが発展して、非常に高度なアルゴリズムが開発されてきたことから、
多くの知的労働を機械が代替してくれる社会が訪れようとしています。
新しい技術が社会をどう変えるか。
今回、ハーバード・ビジネス・レビューの最新号では「人工知能」を特集しました。
企画から編集に半年ほど費やしましたが、その間、人工知能のメカニズム以上に、
「人間とは何か」
「知性とは何か」
を考えることとなりました。
人工知能と言わずとも、電卓ですら数字の計算能力はすでに人間を圧倒的に超えています。
パソコンのハードディスクには人間の記憶力をはるかに凌駕した量の情報が蓄積されています。
インターネットの検索機能を使えば、知らない単語や言葉を瞬時に調べることができます。
このように、人間の知的作業の一部である、計算、記憶、調査などの分野が、いま現在でも機械が相当上回っています。
これらの現象に脅威を感じる人はいないのですが、
人工知能の発展には脅威論が絶えません。
それはなぜか。
■新しい技術が生み出す期待と不安
人工知能の到来で、人の仕事が奪われる。
ではどのような仕事が奪われて、どのような仕事が残るのか。
この「残る仕事」を突きつめていくと、人の特性、知性の特性を考えざるを得ません。
特集ではヤフーの安宅和人さんが、
人工知能が得意な領域と不得手な領域
をキレイに整理してくださっています。
これを見るにつけ、我々人間の知性がいかに奥深いかが分かる一方、
言語化できる知性ほど機械が得意にする時代を迎えている
ことが分かります。
では言語化できない知性とは何か。そ
れらは、直感、ひらめき、感性、感覚など
論理で整理できない言葉で表現されてきたもの
です。
直感や感性という言葉に苦手意識のある人も多いようですが、本来は誰もが固有のものとして持っている能力ではないでしょうか。
「感性が弱い」という人は、ただ単に、これまでの生活や仕事の場面で、その発揮が求められる経験が少なかったに過ぎないのではないでしょうか。
むしろ、仕事によっては直感や感性に頼ることを否定するものが多かったように思います。
閉ざされていた自分の内なる声に耳を傾ければ、誰もが自分ならではの直感や感性があることを認識できるのではないでしょうか。
先日、ロボット工学者である大阪大学の石黒浩先生のお話しを聞く機会がありました。
機械が人間の仕事を代替していく世界が進んでいくと、将来的に「すべての人間は哲学をすることになる」とお話しされました。
科学技術の発展が、最もプリミティブな学問領域である哲学を呼び覚ますというお話しがとても示唆的です。
仕事に求められる正確性やルーティンワークの多くは機械が助けてくれる時代になる。
そうなると
人に求められる仕事が変わるとともに、価値の概念も変わってきます。
何が新しい価値になるのか、その価値はどのように生まれるのか。
それは一人ひとりの独自に考える力、哲学する力から生まれるのではないか。
ビジネスを提供するのも、享受するのもすべては人間の所作です。
人工知能の特集から、ビジネスの根本である人間を考えるきっかけになれば幸いです。
(編集長・岩佐文夫)
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