● 「鄧小平」
ヴォーゲル教授の鄧小平論のエッセンスを凝縮した中国理解の必読書!
『
現代ビジネス 2015年12月04日(金) エズラ・F・ヴォーゲル,橋爪大三郎
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46683
中国理解の急所はココだ!
「知の巨人」エズラ・ヴォーゲルが描く鄧小平
●鄧小平(1904-97)〔photo〕gettyimages
現代を代表する社会学者エズラ・ヴォーゲル(ハーバード大学名誉教授)。
日本ではベストセラーとなった『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者として名高い。
そのヴォーゲル教授が2000年に大学退職後、10年ものあいだ没頭したのが今の中国を作った男「鄧小平」の研究だった。
現代の「知の巨人」はなぜ鄧小平をテーマに選んだのか。
話題の新著『鄧小平』(聞き手:橋爪大三郎)より、まえがきを特別公開!
【まえがき エズラ・F・ヴォーゲル】
20世紀の後半、中国は、新中国としてみごとに復活を果たした。
その復活の道筋をつけた指導者は誰かと、後世の歴史家がふり返るとすれば、その立役者こそ、毛沢東ではなくて、鄧小平にほかならない。
私は半世紀あまりにわたって、日本と中国の研究に従事してきた。
2000年にハーバード大学を退職することになって、中国のこの変化を西側世界の人びとに、どうやって理解してもらうのがよいかと考えた。
そして、鄧小平の研究に全力を注ぐことに決めた。
以来、中国語の文献資料を読んだり、彼をよく知る中国の指導者たちに中国語でインタヴューしたり、彼とつながりのある西側の人びとの記録を当たったりしているうちに、10年もの歳月が経過したが、とうとう鄧小平の本(英語版)を出版することができた。
この本を私は、西側世界の人びとに読んでもらうつもりだった。
この本の中国語版が、中国でベストセラーになろうとは、よもや思わなかった。
●中国本土で翻訳出版された『鄧小平』は大ベストセラーとなった〔photo〕gettyimages
中国語版が出版されてから2年間、中国の人びとは、中国人の書いたものよりも、ほかのどんな国の著者が書いたものよりも、私の書いた鄧小平の本を読んでくれている。
中国本土、香港、台湾で発行されたいろいろな版を合わせると、現在までに、100万冊以上の売り上げを記録している。
1978年に日本研究を始めた私は、以来、毎年のように日本を訪れているので、本書の日本語版(『現代中国の父 鄧小平』〔上・下〕、益尾知佐子・杉本孝訳、2013年9月)が日本経済新聞出版社から刊行されたのは、ほんとうに嬉しいことだった。
これまでの研究の成果を、まとまった歴史の全体像として、残しておきたいと思ったからだ。
ただこの本は英語版が800ページ以上、日本語の翻訳は上下2冊で計1200ページ近くもあって、誰でもが読み通せるわけではない。
そこで、同業の社会学者でもある友人の橋爪大三郎氏が、鄧小平を理解するポイントについて私をインタヴューし、誰もが手に取れる新書のかたちにまとめませんか、と提案してくれたのは渡りに舟だった。
橋爪氏は、中国についてもしっかり勉強して、周到にインタヴューを進めてくれた。
このインタヴューは短いけれど、鄧小平の生涯と業績の大事なポイントをすべて盛り込むものになったと思う。
鄧小平は、清朝の末期に生まれ、親戚が教える私塾で儒教の教育を受けた。中国の伝統に従ったわけである。
その後、1911年の革命に続く混乱のさなかで青年期を過ごし、当時の多くの若者たちと同じく、中国が近代化して強国となることを願う熱烈な愛国者になった。
それからフランスで5年、ソ連で1年を過ごして、1927年に帰国した。
中国が西欧の産業文明にどれほど遅れをとっているか、身に沁みてわかっていたし、ソ連の共産主義がどんなものかも肌でわかっていた。
帰国してすぐ鄧小平は、国共分裂にともなう争乱に巻き込まれる。
ほどなく、江西省のソヴィエト地区に派遣されたが、そこでは毛沢東が、中国革命を目指して農村根拠地づくりを進めていた。
鄧小平は、毛沢東の率いる長征にも加わり、山西省南部を基盤に抗日戦を戦った。
鄧小平はまもなく、共産主義の思想が堅固で、指導者としての素質もそなえた人物として、毛沢東の目にとまるようになる。
鄧小平は、1978年12月の第11期三中全会で、中国の最高指導者となったのだが、このときまでに、万全の準備を整えていた。
外国で過ごした経験もあり、人民解放軍を12年間指導した経験もあり、党の宣伝文書を起草した経験もあり、1949年から1952年まで、1億人の人口を擁する西南局で、最高指導者をつとめた地方行政の経験もある。
1952年に北京に呼ばれてからは、毛沢東と周恩来のかたわらで業務にはげみ、中国のさまざまな重要問題を熟知するようになった。
1956年から1966年のあいだ、中国共産党の総書記をつとめ、雲の上の存在である最高指導者の毛沢東に代わって、日々の業務を処理した。
1973年から1975年にかけては、周恩来の癌(がん)が悪化したので、その右腕として、外国の要人と会見したり外交政策を立案したりした。
鄧小平が指導力を発揮したのは、しかし、幅広い長期の経験によるばかりではない。
毛沢東の誤った政策である大躍進や文化大革命で、鄧小平も個人として辛酸をなめ、江西の片田舎にやられて、どういう改革が必要かじっくり考える時間があったことが大きい。
鄧小平は、権力の座につくと、日本を10日間じっくり訪問し(1978年10月)、東南アジア(1978年11月)、アメリカ合衆国(1979年1月)も訪れた。
鄧小平は飛び抜けて有能な指導者だった。
重要なこととどうでもよいことをはっきり区別し、諸外国と良好な関係をたもち、近代化を進めるにはどうしたらよいかについて中国の学生たちや指導者たちを教育する道筋をつけた。
鄧小平は、中国の方向を、どのように転換させたのか。
これほどまで強大な経済的・政治的パワーをもつに至った中国の、基礎をどのように築いたのか。
その答えを、橋爪氏と私の二人で、講談社現代新書として日本の読者に届けることができて、嬉しく思っている。
【『鄧小平』(新書版)のできるまで 文/橋爪大三郎】
エズラ・F・ヴォーゲル博士は、現代アメリカの日本研究、中国研究を代表する社会学者である。
長年、ハーバード大学教授を務めた。
1999年から翌年にかけ、私は客員研究員として、ハーバード大学に滞在していた。
尊敬するヴォーゲル博士にも何回か、インタヴューを受けていただいた。
博士が2000年に同大学を退職してからも、大学のすぐ近くのご自宅を訪れるなど、交流が続いた。
インタヴューのなかみは、
『こんなに困った北朝鮮』(橋爪大三郎著、メタローグ、2000年)、
『ヴォーゲル、日本とアジアを語る』(エズラ・ヴォーゲル×橋爪大三郎著、平凡社新書、2001年)、
そのほかの雑誌の記事で見ることができる。
ハーバード大学を退いたヴォーゲル博士は、鄧小平を研究のテーマに定め、なおも多忙な日常の合間をぬって、エネルギーのすべてをこの研究に投入し続けた。
以来、10年あまり。ついに、待望の『鄧小平』(本編)が完成した。
英語版が2011年、
中国語版(香港版、台湾版)が2012年、
中国語版(大陸版)が2013年、
日本語版が2013年。
中国語版(大陸版)は特に、予想を上回るベストセラーとなり、多くの読者に迎えられた。
私は刊行と同時に英語版を読み、中国語版も読み、日本語版も出るのを待ちかねて目を通した。
中国語訳も日本語訳も、すぐれた訳である。
ヴォーゲル博士の研究の全貌が、このようなかたちで、英語圏や中国、日本の読者の目に触れることとなったのは、きわめて喜ばしい。
『鄧小平』(本編)は、かっちりした学術書の体裁をとっている。
関連資料をくまなく踏査し、膨大で周到なインタヴュー、クロスチェックを経て、歴史に生き、歴史を拓いたひとりの指導者の実像に迫っている。
分析は客観的、合理的で、関連事項への目配りも行き届いている。
実証研究とはこうあるべきだという、お手本のような見事な書物である。
ただ、残念な点を言えば、ボリュームが大きい。
値段がそれなりに高い。
内容が専門的で、敷居が高い。
本来ならばここから有益な情報をえられるはずの広汎な一般読者に、このままでは届きにくいことだ。
やはり、ヴォーゲル博士の鄧小平研究の核心を、わかりやすく伝える「普及版(ポピュラーバージョン)」がなければならない。
こう確信した私は、ヴォーゲル博士を訪問し、鄧小平についてのインタヴューを新書にしませんか、と提案した。
ヴォーゲル博士は、賛成してくれたが、いくつか条件がついた。
日本語版の出版に尽力した日本経済新聞出版社に迷惑をかけないこと。
日本語版の出版から、まる2年以上、時間を空けること、などなど。
版元は、講談社現代新書がひき受けてくれることとなり、企画がスタートした。
インタヴューは、2013年10月に1回、2014年11月に3回、の計4回。
場所は、ハーバード大学近くのヴォーゲル博士の自宅。
日本語で行なわれた。
その記録を、私が整理し、原稿にまとめて、ヴォーゲル博士に目を通していただいた。
また、日本語版の翻訳者である益尾知佐子氏に、原稿に丁寧に目を通していただき、いくつかの誤りを修正することができた。
こうした準備を経ていま、本書が、日本の読者の手に届けられることになったのは、とても嬉しい。
本書は、ふた通りの役割がある。
ひとつは、『鄧小平』(本編)を読みたいなと思いながらも、手が伸びないでいた読者に対して。著者のヴォーゲル博士が、鄧小平と現代中国についての本質を、ずばりとわかりやすく話してくれる。
本書がいわば予告編となって、『鄧小平』(本編)にチャレンジしようという意欲が湧くはずだ。
もうひとつは、すでに『鄧小平』(本編)を読み終えた、読者に対して。
ロードショーの映画館で売っているプログラムの製作ノートみたいに、大作の舞台裏や、読みどころ、事情で収められなかったエピソードなど、本作をいっそう深く味わうために役に立つ。
要するに、この『鄧小平』(新書版)は、『鄧小平』(本編)と二人三脚なのであり、一粒で二度おいしいヴォーゲル博士の世界が楽しめるのである。
それでは、エズラ・ヴォーゲル博士の描く、鄧小平とその世界を、心ゆくまで楽しんでいただきたい。
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現代ビジネス 2015/12/23 06:01 週刊現代
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46969
エズラ・ヴォーゲル教授が読み解く「中国の明日」
聞き手:橋爪大三郎
橋爪大三郎氏が聞き手になり、アメリカのアジア研究の権威・ヴォーゲル教授が、中国と鄧小平について語り明かす――そんな新書が話題を呼んでいる。
習近平と中国の近未来を教授が予言する。
■なぜ中国は崩壊しないか
――20世紀、ソ連、東欧、中国、いくつかの国で社会主義が試みられて、冷戦が終わったあと、ほとんどすべてなくなってしまいました。
中国はなぜ、ポスト冷戦の時代に、解体しなかったんでしょうか。
ヴォーゲル:
それは、ひとつには、経済成長がものすごく速かったからですね。
80年代に、みんな生活がよくなった。
もうひとつは、阿片戦争以来、この国を統一するのがむずかしいとわかっていること。
政治が乱れ国が分裂している状態では、ダメだと、誰もが骨身にしみてわかっている。
多くの人びとがこのふたつを認めているから、中国共産党が支持されているのだと思うんです。
――中国の改革開放はいまのところ、政治権力の統一によって、経済の発展を推し進めるというパターンです。
韓国や台湾はある段階で民主化しましたが、中国の場合、民主化しそうにない。
ヴォーゲル:
この点をめぐっては、いろんな考え方があります。
われわれ西洋人が前に考えたことは、まず、産業の発展をはかり、経済成長を進める。
すると、民主主義の国になり、独裁的なやり方をやめる。
中国はいままでのところ、そうなっていませんね。
どうしてかと言うと、
ひとつは国が大きい。
統治するのは大変なので、権力が民主化して統制がとれなくなることを、人々が恐れている。
もうひとつは、指導者がなかなかの手腕を持っているので、人びとの信頼をえている。
けれども将来は、もっと民主主義の国になる可能性が大きいと、私は思います。
日本は、高度成長から低成長時代に入って、全社会が平等化した。
教育水準が高いし、医療制度も充実している。
中国は、そういう条件をまだ、持っていない。
今後、高度成長から低成長の時代に入ると、むずかしい問題がいっぱい出ると思うんですね。
私の目から見ると、いまの習近平はかなり、必死になっている。
必死になっているので、自分は強いぞと、虚勢を張っている。
心のなかは、いろいろ心配も多い。
――中国のチャレンジについて、うかがいましょう。
まず、経済発展が、まだ一部に偏っているので、国全体にそれを押し広げなければならない、というのがあります。
二番目に、社会保障や社会インフラの整備に、相当の投資が必要です。
ヴォーゲル:
その二つよりももっとむずかしい問題は、腐敗だと思います。
国民は、腐敗をやめろ、腐敗をすぐ何とかしてほしい、と思っている。
ところが、腐敗を根絶しようにも、腐敗の根はあまりに深い。
指導者はいま、みんな心配しているんですね。
自分もひっかかるんじゃないかと。
海外へ行こうか、どこに財産を隠そうかと、気が気でない。
そういう心配があまり強くなると、習近平に対して、反感を持つ可能性がある。
習近平政権も、それを恐れなければならない。
しかし国民の手前、腐敗問題に手をつけて成果をあげないわけにいかない。
このバランスが崩れると、深刻な政治闘争を引き起こし、政治が乱れてしまうという心配があるのです。
それが、いま直面している一番危険なことだと、私はみています。
■10年で台湾の統一は無理
――ヴォーゲル先生が危ないっておっしゃるなら、それは相当危ない。
これは、構造的な問題であって、取り除く方法が、私には思いつかないんですけれど。
ヴォーゲル:
腐敗の問題は、抑えようとしているけれども、非常にむずかしい。
どうにかして、腐敗をどんどん少なくさせようとすると、幹部たちは反発する……。
――習近平が、もし非常に聡明で大胆なひとだったら、中国共産党の(民主)改革を、10年以内に達成する、って宣言するでしょう。
それはもう、鄧小平もできなかった、改革開放を乗り越えた、つぎの段階だと。
ヴォーゲル:
どうして(民主化された)香港は、あんなに乱れてしまうのか。
中国政府が心配しているのは、香港に例外を認めると、中国の別な場所も、同じことをやりたい、早くやりたい、と言い出すことではないか。
それをどう抑えるか。
――わかります。香港は完全に中国がコントロールしているのに、自由な選挙なんかやらせれば、広東省がやりたいとか、遼寧省もやりたいとか。そういうことでしょう?
でもそれを逆手に取れば、香港がうまくいけば、香港で自由選挙をどうぞやってください、でも中国の一部ですよ、っていう実例ができれば、台湾に対してものすごいプレッシャーになるはずなんですよ。
ヴォーゲル:
ボクは、台湾の統一は、10年以内はほとんど無理だと思います。
台湾では、やっぱり独立した、いまのままで、ずっといいと思っているひとが多いでしょう。
どうしたらいいか。
私は、(中国国内で)まず選挙みたいなことを、実験としてやればいいと思うのです。
場所をどこか決めて。
――下の村のレヴェルから順番に選挙をやる、っていうのを、一時、試行していたようでしたね。
10年くらい前。
でも、進んでいませんね。
ヴォーゲル:
あまり、進まなかった。
でも、もう少しそれをやる。
もうひとつ大事なのは、腐敗問題を、きちんと法律をつくって解決する。
みんなが腐敗している。
でも、過去のことは過去として、罰することはしない。
けれども将来は、1年か2年以内に法律をつくって、こういうことをしたら腐敗、とはっきりさせる。
そして、取り締まりを開始する。
■腐敗政治はなくならない
――ポスト鄧小平の指導者たちについて、順番に、コメントいただきたいと思います。
ヴォーゲル:
江沢民は、 60年代、ソ連に行って、国際的な経験があった。
それから、 80年代に貿易の関係の仕事もして、科学についてもよくわかっている。
天安門事件のあと、外国とうまくやるために、忍耐力をもって取り組んだ。
残念ながら日本との関係では、ぎくしゃくした。
92年に日本を訪ねたときはあまり問題がなかったけれども、 90年代後半にかけては関係がちょっと悪くなった。
江沢民が、判断を間違った。
残念ですね。
日本と中国は、やっぱりぶつかってしまった。
胡錦濤は、日本でたとえるなら、松下政経塾。
政治家の親戚もいないし、友達もいない。
そこで、共産主義青年団に入り、その道をずっと歩いてきた。
それで、胡錦濤は、ちょっと官僚タイプですね。
優秀。
ただ、政治の力はあまりなかった。
腐敗問題がどんどんひどくなって、国民もなんとかしてほしいと思ったのに、それほど大胆なことができなかったんですね。
彼は、よくも悪くも、いい官僚的な人間だった、という感じがしますね。
胡錦濤のあと、もう少し指導力のある人が必要だ、とみんな思った。
自信のあるひとです。
習近平は、父親(習仲勲元副首相)も改革派。
彼は多少、農村のこともわかっている。
地方の経験もあったし、非常に自信満々で、頭がいい。
そういうひとなので、胡錦濤よりも、強いことをやれるわけですね。
――いま集団指導制と言っていいですか。
それとも習近平の力が、飛び抜けて強くなっていますか。
ヴォーゲル:
習近平は、わりあいに強くなった。
だけどまだ、集団が決めるんですね。
習近平が、今後、権力を自分の手に集めて、もう少し強い指導者として動く可能性はあるけれども、ほかのひとが反対すれば、やりにくい。
権力は、限られているんですね。
――途中で、薄煕来とか周永康とかいろんなひとを抑えていったので、対抗するひとがあまりいないようにも思うんですけれども。
ヴォーゲル:
それは、まだわからないですね。
――習近平が失敗して、なにか問題を起こすとすれば、いちばん大事な問題はなんでしょうね。
ヴォーゲル:
腐敗ですね。
みんな、自分の将来を心配しているわけですね。
みんなも腐敗をやっているのだから、という言い訳は、これからは通用しないでしょう。
「週刊現代」2015年12月26日より
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