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WEDGE Infinity 日本をもっと、考える 2015年12月10日(Thu) 戸田隆夫 (JICA人間開発部長)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5708
母子手帳が世界を変える
日本が生み出した国際公共財
毎年615万人の「不必要な死」。
それを一人でも多く、一刻も早く救うために、私たちは何ができるだろうか?
人は、住み慣れた家を追われ、国を追われたとき、何を持ち出すだろう?
アベーサは、20歳のパレスチナ人である。
戦争で二度棲家を追われた一児の母である。
パレスチナの戦乱を逃れダマスカスの難民キャンプに落ち着いたのも束の間、シリアの戦禍を避け再び「難民」(二重難民)となった。
10カ月の乳飲み子を抱え、ゴムボートで地中海を渡ったアベーサの持ち物は手提げ鞄ひとつ。
中身は、靴下が1足、帽子、1ビンのベビーフードなど子供のものばかり。
●母子手帳を持つパレスチナ人の母子。(注)こちらの写真がアベーサではありません。本人の写真は、下記ハフィントンポスト記事の3枚目と4枚目の写真になります。http://www.huffingtonpost.jp/2015/09/08/syrian-refugees-reveal-bags_n_8104814.html © Kenshiro Imamura
■世界が注目した1冊のノート
水がかかっても大丈夫なように丁寧にビニールで包まれた1冊のノートに世界が注目した。
それは、日本が国際協力を通じて、パレスチナに広めた母子手帳である。
さらに国連の協力を得て、難民キャンプにも普及されるようになった。
アベーサは、
「ほかのものは無くしても人が与えてくれるか、再び努力して得ることができる。
しかし、この手帳に書かれている記録は無くしたら二度と手に入らない」
という。
そこには、産前産後の検診や、赤ん坊の予防接種、成長の記録、妊婦としての注意事項、母子が受けなければならない検診の内容やタイミングがコンパクトに記載されている。
アベーサにとって、その手帳は、子供を守るための「命のパスポート」である。
幼子を抱える多くの母親たちが、この手帳を大事に抱えて、国境を越えている。
アベーサの話は、今年の国連総会での安倍晋三総理演説においても詳しく言及された。
1948年、世界で最初に母子手帳を生んだのは日本。
世界最高水準の母子保健指標を日本が達成することに大きく貢献した。
母と子の保健データを統合し、さまざまな種類のカードに分散して記録されていた保健データを1冊にまとめた。
母子手帳を母親自身が所持することによって、母親の責任と自覚を生んだ。
世界では毎年、今日本で配布されている100万冊の8倍、
800万冊の母子手帳が、30カ国を越える国々で配布され活用されている。
過去25年の間に、妊産婦と乳幼児の死亡率は、約2分の1に激減した。
しかし、今、この瞬間も、5秒に1人の乳幼児の命が奪われている。
世界では毎年、1億4000万人の命が生まれ、
そのうち630万人は、5歳の誕生日を迎えることなく死亡している。
また、29万人の女性が出産後の出血や危険な人工妊娠中絶などで命を落としている。
もし、世界中の妊婦が日本と同じ状況で出産をし、日本と同じ状況で子育てをすることができたなら、毎年失われている妊産婦と子供、660万人の命の93%以上、つまり、615万人以上の命が救われることになる。
■世界の母子の命を救う国際公共財
毎年615万人の「不必要な死」。
それを一人でも多く、一刻も早く救うために、私たちは何ができるだろうか?
極めて少人数ではあるが、母子手帳を広めようと奮闘する人々が世界各地で今、大きなうねりを起こそうとしている。
母子手帳は、メイド・イン・ジャパンであり、日本が国際貢献をするための切り札のひとつである。
同時に、母子手帳は、日本のためだけにあるものではない。
世界の国々のそれぞれの事情にあったかたちで活用されることによって世界中の母子の多くの命を救うことができる国際公共財でもある。
●© Kenshiro Imamura
バブル崩壊後、四半世紀を経てもまだ、日本経済が依然として厳しい状況にあり、少なからぬ日本人が貧困に喘いでいる今日、日本ができる国際貢献には自ずと限界があることは言うまでもない。
しかし、そういう状況であるからこそ、日本の強みを活かした国際貢献が強く求められる。
母子保健は、日本がまだ貧しかった1960年代において、
すでにアメリカをも凌駕した分野であり、今でも世界最高水準を保っている。
母子手帳は、その過程で切り札的な存在として活用されてきた。
さらに、政府開発援助を通じ、日本は、アジア、アフリカなど世界各地で、その普及活用を支援してきた。
インドネシアでは、我が国による1993年以来の長年の協力が実を結び、2015年にはインドネシア連邦政府が、全国共通版の母子手帳の改訂を初めて日本の支援なしに実施した。
2015年9月、第9回母子手帳国際会議が、カメルーンの首都ヤウンデで開催された。
母子手帳国際会議は、1998年、大阪大学の中村安秀教授のリーダーシップで立ち上げられたものである。
JICA(国際協力機構)は、世界16カ国から、当該国の政府関係者、日本の専門家や協力隊員などを送り込んだ。
母子手帳を世界の国々が活用することによって、より多くの母子の命が救われる。
それに向けたうねりを起こす仕掛けが動き出した。
インドネシアの教訓から、アフリカのブルンジが学ぶ。
ブルンジの成果にフィリピンの政府関係者が刮目する。
カンボジアやラオスにおける進展にベトナムが刺激を受ける……という国境を越えたダイナミックな学びと実践が加速されようとしている。
当然のことだが、母子手帳は魔法のランプではない。
単に母子手帳を配れば母子の命が救われるわけではまったくない。
中央から地方の最前線までの保健行政全体、さらには、出生登録から水、電気、あるいは病院へのアクセスを確保する道路まで、保健セクターを越えた行政全体の問題であり、そして、なによりも、地域住民自身の教育の程度や意識の問題でもある。
それぞれの国の実情にあったかたちと手順で、母子手帳が、その渦中に効果的に導入されることによって、母子の命を守るさまざまな営みが結び付けられ、相乗効果を発揮する。
■世界情勢に受け身だった多くの日本人
これまで日本人は、総じて世界情勢を与えられこそすれ、決して自分たちの努力では変えることのできないものとして捉えてきた。
多くの時間と労力を、受動的に順応するために費やしてきた。
しかし、母子手帳を活用してうねりを引き起こそうとしている人たちは、自分たち自身が動き、日本と世界中の心ある人々に理解と協働を訴えかけ続けて行けば、必ず、615万人の不必要な死は、防ぐことができると信じ、ムーブメント(運動)を引き起こそうとしている。
●世界に広がる母子手帳
燎原の火の如く、そのムーブメントが広がるか、泡沫の夢に終わるか?
それを知るうえで、2016年は大きな意味を持つ。
G7では日本が議長国を務める。
日本が主導してきたTICAD(アフリカ開発のための国際会議)がナイロビで開催される。
その前哨戦として、2015年の12月16日には、マーガレット・チャンWHO(世界保健機構)事務局長、ジム・ヨン・キム世界銀行総裁に加えて、ビル・ゲイツ氏も参加する国際保健の会議が東京で開催され、ケニアやタイなどからも要人を招致し、「万人のための保健サービス」(UHC)に向けてのこれからの道筋について議論がなされる。
これらの機会に、日本の経験と強みを活かしたアイデアやメッセージがどこまで発信されるかが注目されるところである。
さらに、2016年11月23日には、これらの一連の会議の成果を承継しつつ、第10回母子手帳国際会議が東京で開催されることがすでに決まっている。
母子を含む人々の命が、一つでも多く救われるために試みられてきたたくさんの実践や、そこからの学びが可視化され、素晴らしい成果が世界の各地で拡大再生産されていることを加速するための場である。
以下の連載では、母子手帳をグローバルに展開し活用するために、これまで、日本人が、世界の各地でどのようなうねりを引き起こしてきたか、という点について振り返る。
これからの世界を、未来を、私たちの力で、どこまで変えることができるかについて見通しをつけるための一助としたい。
また、これらの可視化を通じて、より多くの人々が、ムーブメントに参画してくれることを切望する。
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