『
ダイヤモンドオンライン 2015年9月3日
http://diamond.jp/articles/-/77743
「中華民族の偉大なる復興」はリアリティを持たない
——東京大学名誉教授・北岡伸一×加藤嘉一
●北岡伸一(きたおか・しんいち)
1948年、奈良県生まれ。76年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、法学博士。
立教大学教授、東京大学教授を経て、現在、国際大学学長、政策研究大学院大学学長特別補佐・特別教授、東京大学名誉教授を務める。
その間、04‐06年には日本政府国連代表部次席大使を務めたほか、日中歴史共同研究委員会日本側座長などを歴任する。
著書に『清沢洌―外交評論の運命』(増補版、中公新書、サントリー学芸賞)、『日米関係のリアリズム』(中公叢書、読売論壇賞)、『自民党―政権党の三八年』(中公文庫、吉野作造賞)など多数。
●加藤嘉一(かとう・よしかず)
1984年生まれ。静岡県函南町出身。山梨学院大学附属高等学校卒業後、2003年、北京大学へ留学。
同大学国際関係学院大学院修士課程修了。北京大学研究員、復旦大学新聞学院講座学者、慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)を経て、2012年8月に渡米。
ハーバード大学フェロー(2012~2014年)、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院客員研究員(2014〜2015年)を務めたのち、現在は北京で研究活動を続ける。米『ニューヨーク・タイムズ』中国語版コラムニスト。
今年は終戦から70年を迎える重要な年であり、特に中国・韓国といかなる関係を構築するのかが改めて議論されている。
揺れる巨人・中国はどこに向かっているのか、そして、日本は中国といかに向き合えばよいのか。
東京大学名誉教授であり、「日中歴史共同研究委員会」日本側座長や「21世紀構想懇談会」座長代理を務めた北岡伸一氏に、加藤嘉一氏が聞いた。
★北岡氏との対談は全4回。
★.対談の第1回★
加藤::
いま、習近平国家主席は「中国夢」(チャイナ・ドリーム)、すなわち「中華民族の偉大なる復興」をスローガンに掲げ、政治を進めています。
中国共産党が創立100周年を迎える2021年、そして中華人民共和国建国100周年の2049年という時間軸を意識しているようですが、いつの時代に“復興”するのか、その意図は何かなど、不透明な点も多いです。
北岡先生は、歴史学者という立場からご覧になって、習近平が掲げる「中国夢」というコンセプトにどのような感想を持たれましたか?
北岡::
中国には、こうしたコンセプトが必要だと考えているのでしょう。
ただ、もし心からそれを信じているのであれば、それは困ったことですね。
中華民族の偉大なる復興とは、何に対置したものなのか。
アカデミックな議論をすると、その点も解釈に困ります。
加藤さんがおっしゃるように、戻るといっても、いったいどこに戻るのでしょう。
おそらく、心情的には唐の時代なのでしょう。
ただ、現在議論されている過去の栄光を面積で見ると、元か清ですよね。
そもそも、「中華民族」は存在しません。
あるとすれば漢民族です。
何が中華民族なのかと疑問に思うわけです。
また、そこに含まれる少数民族についてはどう理解すべきなのか。
そうしたことを踏まえて、このコンセプトを打ち出した目的は何なんだろうかという点を考えてしまいます。
加藤::
北岡先生は、その目的は何かと考えていらっしゃいますか?
北岡::
目的はやはり、崩壊(disintegration)を避けること
ではないでしょうか。
バラバラになる理由は、異論に対する弾圧、少数民族に対する弾圧もあるでしょう。
そもそも、どのような国でも、国が豊かになると、必ずしも全体に対して奉仕する気持ちを持つことは簡単ではありませんからね。
中国夢について、中国の国内ではどのように受け止められるんですか?
加藤::
一般大衆世論では、これは単なる政治スローガンにすぎないと捉えられていて、人民たちはみずからの生活とそれほど関係の深いものだとは認識していないようです。
ただ、対外関係という文脈のなかで、それによってナショナリズムがくすぐられることはあるようですが。
また知識人たちは、前国家主席の胡錦濤が提唱した「和諧社会」に近いものだと思っているようです。
私自身のウォッチでは、同じく胡錦濤が指摘した「科学的発展観」に相当するガバナンス方針という意味で、おそらく昨今における「四つの全面」(小康社会、改革深化、法に依る統治、厳格な党の管理を全面的に推し進めること)のほうがそれに近いのかなと見ています。
■「夢」の中身にリアリティがない
加藤::
私の認識では、中国夢には、習近平という政治家の性格や個性が強く反映されているものです。
たとえば、2013年、米カリフォルニア州サニーランドで行われたオバマ大統領との会談では、「太平洋は米中を収納するのに十分な大きさである」と言いました。また、2014年、上海で開催されたアジア相互協力信頼醸成措置会議では「アジアの問題はアジアで解決する」と提唱するなど、習近平は自分の色を政治に対して強く示す性格の持ち主だと感じています。
一方の国務院総理・李克強ですが、彼と北京大学時代を共に過ごした元クラスメートによると、李克強は自分から好んで「中国夢」を使わず、公の場でも極力使わないようにしているそうです。
経済と法律を専門に学んだ李克強
から見れば、中国夢は空虚で中身のない政治スローガンに見えてしまうのかもしれません。
全国人民代表大会のような舞台では立場上使わざるを得ないこともあるでしょうが、中国夢は習近平の色が強いコンセプトだと私は見ています。
軍事学者などが中国夢について記した書籍を習近平が読んでいるのかどうかは定かではありませんが、経済も社会も不安定になるなかで、中国を統一するために有効なスローガンであり、それに喝采を送る無産階級・一般大衆もいると考えているのだと思います。
まさに、北岡先生がおっしゃった必要性という文脈が際立っているのではないでしょうか。
北岡::
たしかに、和諧社会について考えても、これまた必要性があってやったことですね。
しかし、中国の偉大な復興というスローガンのほうは、中国が大国・強国として認められて尊敬されるようになったら、もう意味を持たなくなります。
過去の帝国主義に弾圧された、侵略された屈辱から立ち上がるといっても、「もう十分に立ち上がった」と言われたら、途端にあのスローガン意味を持たなくなるわけですね。
国民に対してアピールする力は、すぐになくなると思います。
加藤::
最近の中国共産党の声明や談話を読むと、
習近平は、2021年と2049年という「2つの100年」というコンセプトを、中国夢を実現するうえでの軸に位置づけている
という印象を持たされます。
習近平は共産党設立100周年を迎えた後に国家主席を退く予定ですが、にもかかわらず、2049年に関する目標を国家指導者として掲げている。
習近平の後継者たちは、そんな目標を継承しなければならないことに、理論上はなります。
戦略や政策の連続性という観点からも、継承が難しくなるでしょうし、私はそれを政治リスクにすら思います。
私が習近平の政治を危ういと思うのは、
前任者と後任者との関連性と連続性を無視、少なくとも軽視した政策が目立つ
からです。
北岡::
私も先ほど、それを言おうとしたとこでした。
つまり、
あるところまで来たらアピール力がなくなると同時に、
夢というのはいつまで経っても達成できないもの
ですよね。
それは二重の意味で危ないのではないかと思います。
GDPで世界第何位に入ると具体的ではなく、曖昧すぎます。
和諧社会はよりリアリティを反映していると思います。
中国の発展が周囲と摩擦を引き起こすし、内部の格差も広がる。
それらをいかに調和させるかという考えは、割合リアリティに向き合ったものでした。
しかし中国の夢とは、リアリティに対応しているというより、何らかの政治的な意図のほうが前に来ているような気がしますね。
次回更新は、9月4日(金)を予定。
』
『
ダイヤモンドオンライン 2015年9月4日
http://diamond.jp/articles/-/77758
皇帝・習近平は、中国をいかに統治すべきか
——東京大学名誉教授・北岡伸一×加藤嘉一
★.対談の第2回★
■中国はいかに正統性を保つのか
加藤::
中国共産党の正統性は、業績やガバナンスといった結果で保障するしかありません。
なぜなら、選挙というプロセスを経ないからです。
私は、安定・成長・公正・人権という4つの軸を設けて、それをいかに運用するかが大事だと考えています。
胡錦濤の時代はとにかく安定が第一で、発展が第二にあった。
安定・成長・公正・人権の順番で政権運営がなされていました。
習近平に受け継がれたいま、
ポスト安定・成長時代に入っている
と考えています。
おそらく、人権の軸に当たる政治レベルの自由に関しては、私が見る限り習近平は関心を示していない。
そのため、格差是正や社会保障など公正の軸に含まれる分野を大胆に推し進めていくことでしか、正統性は担保できなくなると見ています。
現在、人口の3割強とされる中産階級が紆余曲折を経ながらも拡大していくなかで、
人民たちが単に上からの抑圧で納得するような状況ではないでしょう。
故サミュエル・ハンチントンなども指摘していますが、
中産階級が拡大するなかで、中国の人々は物質面だけではなくて、政治の自由などにも関心を示していく可能性はあります。
その過程で、いわゆる自由民主主義に立脚した政治レベルでの改革が求められるだろうというのは他国の経験から見てもオーソドックスな考えだと言えるでしょう。
しかし一方で、習近平の動きを見ると、西側初の価値観や政治体制にはまったく関心を示していないどころか、それらを拒絶するような発言すら散見されます。
とくにリーマン・ショック以降、中国共産党は中国独自の道を貫こうという姿勢を強めているように見えます。
中国国内統治の方向性に関して、北岡先生はどうご覧になっていますか?
北岡::
民主主義とは多義的ですが、私には、古典的だけどロバート・ダールのような考え方が一番重要だと思っています。
つまり、政府を批判する自由があり、政府に対抗する運動をしても罰せられないなどという捉え方です。
これが基本です。
中国型の民主主義という人がいますが、あるいは昔は、北朝鮮型の民主主義という人もいましたが、それは世界では通用しません。
中国の国民が豊かになってくれば、
中国の夢などのように、つまらないスローガンでは騙されなくなる
と思います。
そう思いませんか?
加藤::
中国の人たちはインテリジェンスに長けているので、常に本音と建て前を分けたうえで生きていると思います。
中国の夢についても、多くの人が「こんなもの」と思っていると感じます。
その一方で、共産党一党支配そのものに対してどれだけの人間が「こんなものは」と思っているかというと、中国という広大な土地は共産党の一党支配でしか有効的に統一できないと考えているでしょう。
国家の統一が担保されなければ、発展も繁栄もせず、安定もしないという考えを持っている人は少なくないと感じています。
北岡::
大国を統治する方法は限られています。
よくあるのは連邦制です。
アメリカやインド、ドイツもそうですよね。
民主主義で、連邦制を採っていない国で、
一番大きい国は日本です。
1億を超えると、連邦制以外では難しい
のではないでしょうか。
中国は地域に分けるのが非常に困難な国ですが、実質的には各省の独立性はあると思いますので、
連邦制にしなければ難しいでしょう。
ただ、むしろ党はどんどん大きくなっていて、党の中でデモクラティック・コンペティションがある。たとえば、党幹部を選ぶために選挙をするという方法はどうなんでしょうか?
一部ではやっているわけですよね。
加藤:: 中国共産党は、“党内民主”は掲げていますが、実際、全国人民代表大会の代表や全国政治協商会議の委員などの投票率を見れば、そのほとんどが信任投票というのが現状です。
たしかに、村レベルでは村民委員会もあり、部分的・局地的には行われているようですが、中央・地方を問わず、中国で公正で自由な民主選挙が実施される兆しは見えませんね。
■“悪い皇帝”問題をいかに乗り越えるか
加藤::
最近、北京大学を訪れた際、そこの先生までもが「習大大」(習おじさん)と言って、習近平を持ち上げていました。
ポピュリズム政治がここまで浸透しているのだと驚きました。
中国の多くの人々はやはり強い皇帝を求めている
んだなと感じさせられました。
知識人か労働者かにかかわらず、強い皇帝がいて、その人がお国や社会をしっかりマネージしてくれていれば、それが一番いいのだと。
自分たちが政治に無関心でいられることを潜在的に“歓迎”している
ようにも写ります。
中華人民共和国ができるずっと昔からのこの伝統は、根本的には何も変わっていないように思います。
上海や広東も含めて、中国では市民の政治参加が根づくにはまだまだ長い時間と道のりが必要のようです。
そう考えると、結局は、良くも悪くも党内民主しかないのかなと感じています。
北岡::
それは昔から繰り返された話ですよね。
たとえば、1915年に袁世凱が皇帝になろうとしたときに、そういう議論をよくしました。
アメリカは、中華民国をシスター・レパブリックといって支持していたのですが、そのリーダーが皇帝になろうとした。
アメリカはたいへん困ったわけです。
強いリーダーがいなければどうしようもないことはわかっている。
ただ、強いリーダーがもしおかしくなったとき、どうすべきなのか。
民主主義の根源にあるのは、リーダーは必ず間違える、
間違えたらどこかで取り替えるということです。
中国の場合、それを10年で取り替えることになってるわけですよね。
とてもおもしろいメカニズムだと思います。
加藤さんがおっしゃるとおり、これしかないというのはあるのでしょう。
政府はほとほと信用できないが、なくても困る。
そのくらいに思っているんじゃないですかね。
加藤::
「“悪い皇帝”問題」(bad emperor problem)は中国政治を解析するうえで欠かせない視点だと思います。
民主主義では、常に良いリーダーを生産できるかはわからないものの、
少なくとも
“極端に悪いリーダー”は排除されるメカニズムを制度的に確保
することができる。
一方で、中国の政治体制下では、良いリーダーの生産は民主主義体制よりも容易な場合もあるかもしれませんが、極端に悪いリーダーの出現を未然に防ぐ、あるいは途中で退去させる仕組みを担保できません。
最近、中国経済がハードランディングするかどうかという議論が起こっていますが、中国が政治的にソフトランディングするためには、どうすべきなのでしょうか。
簡単に予測できる問題ではありませんが、北岡先生のお考えをお聞かせください。
北岡::
先のことはわかりませんが、いまの体制はそれほど長く持たないのではないかという気がしています。
かなり無理がありますよね。
いくつかの国有企業の改革やストックマーケットの改革、都市と農村の格差の解消など、少しずついじってはいる。
それは、日本から見るとそれぞれ大きな変化です。
ただ、それで根本的にうまくいくような感じもしていません。
加藤::
習近平の父親世代が共産党をつくり、そこから天下を獲った世代の子どもたちにとっては、共産党あっての中国という意識が強いと私は見ています。
習近平は共産党の権力や威信が強化されてこそ国家は安定し、社会が繁栄すると考えていると思います。
ただ、習近平は毛沢東主義に対しては批判的で、警戒もしています。
「毛」=「党」ではない、つまり、毛沢東=共産党ではないと。
また、中国はある意味プラグマティズム(実用主義)の国なので、共産党一党支配というボトムライン以外の分野ついては、あらゆる政策を柔軟に実行する、あるいは大胆に変えるという覚悟を持っていると思います。
土地改革や金融改革、戸籍の改革、社会保障政策などについては、できるところまで実施する覚悟を持っているのかなと見ています。
北岡::
それによって、いろいろな意味で多元化が進むわけですね。
そして、それが跳ね返ってもくるわけですよね。
私は中国の専門家ではありませんが、その後のシナリオについて、それほど説得的なものを聞いたことがありません。
■少数民族問題を無視することはできない
北岡::
国民が豊かになり賢くなることで、いまのフィクションがいつまでも持つのかなとは心から思うことです。
その陰ではいろいろな改革もやりますが、たとえば、新疆ウィグルとかチベットなどの少数民族の問題、これは避けられない問題ですよね。
加藤::
私から見ても、新疆ウイグル自治区の問題は、昨今の統治にとっての最大のリスクの一つです。
同自治区関係者の話を聞いていると、報道されている何倍もの暴動が起きていたり、それを撮影した中国中央電子台(CCTV)の記者が左遷されたりしているようです。
共産党は同問題をとても厄介なリスクだと認識していると思いますよ。
北岡::
私は、モンゴル・内モンゴルから来た学生を教えたことあるんですよ。
東大のウィグル人留学生が捕まり、懲役10年を食らった事件もありましたよね。
そういう人は、一定の年限が来ると大学を除籍になるので、評議会を開いて、特別にこの人の在学期間を延長すると決議していました。
加藤::
おっしゃるとおりです。
香港の普通選挙法案改革の問題にせよ、米国も英国も、そして日本も、中国にノーを言わない。
中国にノーと言えない国際社会、
健全な外圧をかけられない状況はよくありません。
中国自身もそれによって損をします。
結果的に国家資本主義や開発独裁体制が膨張していくかのような現状に対し、我々は強い懸念を持つべきだと思います。
北岡::
平穏な生活を送っているときに、突然夜コンコンとノックして連れていかれて、裁判官もなしに裁かれる。
これが一番怖いことなんですよね。
欧州で中国問題やアジア情勢を議論するときにはよくこんな話をします。
「あなたたちは何十年か前にそういうこと経験したはずだ。
そうした経験があり、人道や人権と言っている国の人たちが、金儲けさえできればいいんですか」
と。
それは非常に遺憾に思います。
最近の大きなターニングポイントは、チベット事件のときにフランスのサルコジ大統領がオリンピックの開会式を欠席する可能性を示唆したら、カルフールを締め上げられ、たちまち沈黙してしまったケースです。
あの辺りから西洋諸国は中国に対してものを言えなくなってしまいました。
台湾問題もそうですね。
台湾にすぐには手を出せないと思いますが、そこにいるのは圧倒的に漢民族なわけです。
内モンゴルでも、モンゴル族がマイノリティです。
世界のモンゴル民族は、主に内モンゴル地区にいます。
ただし、彼らは何百万単位で、漢民族は何千万。
もし選挙をやれば完全に負けてしまう。
民主とは数の力であるというのも1つの定義ですが、そこにある自由を考えると、それだけでは非常に難しいとこに来ていると思います。
私は、中央のテロリズムを根絶することは難しいと思っています。
チェチェンや新疆ウィグルについて見ても、根源的な対策なんかできませんよ、きっと。命懸けでやってる人に対して、なかなか手は打てません。
弾圧を強めるだけで処理できるとは思わない。
加藤::
漢族、そして共産党による支配がますます強化されるなか、漢族の人たちはおそらく現体制に対して「ノー」とは言わないでしょう。
企業家であれ知識人であれ、社会や市場、そして世論に対して一定程度の影響力を持ってきたら、共産党は必ずそういうプレイヤーを取り込みにかかります。
全人代の代表や政協委員という政治的な優遇ポストを与えて、ますます何も言えなくなる状況をつくる。
現段階で共産党体制に対してノーを叩きつけているのは、一部の少数民族と一部のリベラル派知識人という状況です。
■中国は民主主義で統治できるのか
加藤::
唐突な質問ですが、北岡先生は、中国は民主主義では統治できないと思われますか。
北岡::
先ほど申し上げた通り、1つは連邦制だと思いますが、いくつかの省は1億を超え、多くは5000万を超えます。
中国は伝統的にそれをコントロールしてきたわけですね。
皇帝の権力を脅かさないように、総督巡撫はその省の人間以外を起用しました。
日本は知事選挙に地元出身者を起用します。
これは大きな違いです。
すなわち、
これは地方に大きな独立性を与えるが、
地方に根を張って中央に歯向かうことは許さない制度
です。
要するに、昔の封建制です。
封建制か郡県制かという問題です。
昔の封建制を再導入することと、共産党一党支配は矛盾するか。
矛盾しなければ、そこに解がありそうなような気もします。
加藤さんは、どう思いますか。
加藤::
私もそう思います。
日本における大手株式会社のような仕組みですね。
いろいろな畑を経験させて、
その中で人格や能力などあらゆる面を考慮して、
結果的に上に行く人間が消去法で残っていく。
省長は生え抜きの人間、そして地元の民意をある程度汲み取った人間を配置したうえで、党書記に関しては基本的に中央の任命制にするような仕組みは実行可能性があると思っています。
また、中央委員会、政治局、政治局常務委員のいずれかに市民社会としての民意が反映されるようなシステムを入れる。
そのうえで、制限的ではあるけれども、一定程度、民主的な政治を機能させるやり方はあると思っています。
北岡::
もちろん、中国に関しては、やはり難しい点が多々あります。
よく言いますが、中国は欧州とだいたい同じ面積です。
米国も同じです。
欧州は早くから国が分かれていて、米国は連邦制。
でも、中国は1つですよね。
中国は連邦制にならないのかなと思います。
加藤::
以前、北京である共産党の幹部の方々とかなり突っ込んだ議論をする機会がありました。
そのとき、
「連邦制をお考えになっていますか」
という質問をぶつけました。
すると
「その制度は学んでいるし、あらゆる可能性を考えたうえで、この国が統一されていくようにしかるべき措置を取る」
ということを言っていました。
ただし、彼らは絶対に“連邦制”とは言いません。
西側を真似たかのように見られることを嫌うからです。
中国でも、歴史的に中央集権か地方分権かで揺れてきました。
一筋縄にはいきません。
現状としては、習近平総書記に権力が集中しているなか、政策遂行は中央集権的になっているように見えますが、李克強総理が担当する土地改革や戸籍改革、都市化政策や三農問題対策などを抜本的に推し進めるためには、ある程度の権限を地方に移譲し、地方の積極性や機動性を生かすようなインセンティブは不可欠だと考えます。
次回更新は、9月10日(木)を予定。
』
『
ダイヤモンドオンライン 2015年9月10日
http://diamond.jp/articles/-/78120
米国の民主主義に触れることで、
中国人留学生はより“愛国的”になる
——東京大学名誉教授・北岡伸一×加藤嘉一
★.対談の第3回★
■チャイナモデルへの信仰が増す中国
加藤:
先生は共同歴史研究という観点・立場から、日本側座長として中国側と対話をなさってきました。
歴史的に見ると、中国では知識人が抑圧されてきました。
1898年に設立された北京大学の歴史を振り返っても、蔡元培が学長だったころ(1916〜1927年)は、自由や兼容を理念として掲げた同大学が思想的に最も輝いた時期とされます。
しかし、特に学者や学生にとってのトラウマとなった1989年の天安門事件から25年以上が経ったいま、そんな自由で民主的な北京大学の文化は見る影もなくなっている気がします。
北岡先生が普段対話されている知識人たちから、この社会を発展させていくような、たとえば学問や表現の自由を実現すべく、政権や為政者たちにクリティカルな問題提起や民主的な権利欲求を投げかけていくパワーやポテンシャルを感じることはありますか?
北岡:
当然ですが、共同研究の人選はとても政治的なわけです。
ほとんどが社会科学院の先生なんですよ。
これは政府直轄ですからね。
それ以外もいますが、すべて北京の人であり、地方の人はいません。
また、集まったのはみな近現代史の専門家です。
近現代史を専門にやっている人がこぞってこれに入りたいとやって来て、あぶれた人は古代の部に入れられました。
また、若手が自由かというと、そうでもない。
昇進がかかっているので、公式見解以外のことは言えません。
大学も地方に行くとやや自由になりますよね。
また、中国の場合、地域のギャップがかなり大きい。
上海なんかに行くと、彼らは北京の連中は勝手なことをしていると思っているわけですよ。
それが将来の一つの可能性だと思っています。
つまり、地域差を活かすことです。
中国国内での大きな変化は、やはりリーマン・ショック以後に訪れたと思います。
それまでは基本的に、メッセージの普遍的価値はわかるけども、われわれはまだそういう段階ではないという留保を付けていました。
しかし、2008年くらいからは、
「いやいや、われわれのモデルのほうが優れている」
という者が増えてきました。
加藤:
私もそう思います。
北岡:
たとえば、米国に留学している中国人について、加藤さんはどう見ていますか?
彼らは米国についてどう見ているんだろうか?
加藤:
拙書『中国民主化研究』(ダイヤモンド社)を執筆する過程で、現在スタンフォード大学で研究されているフランシス・フクヤマ先生の元を訪れ、いろいろと話を伺ってきました。
彼は、中国人留学生を巡る環境に関して、25年前といまでは異なっていると見ています。
当時であれば米国の自由民主主義の価値観は素晴らしいと心から尊敬して、将来、こういう社会を実現したいと思って帰っていった、と。
しかし、いまは逆に中国への自信を深めて、より愛国的になって帰っていくという話をされていました。
北岡:
私もそう感じています。
これは、まったく予想外でした。
中国のモデルのほうがいいということを公然と言う人たちが増えてきたんですから。
加藤:
私は、最近までワシントンにあるジョンズ・ホプキンス大学で研究していました。
ハーバード大学同様、そこでも米国の教育を受け、世界各地からの学生との議論を経て、逆に愛国的になって祖国へ帰っていく学生が数多く見られました。
学生たちに話を聞くと、西側の制度や価値観自体に対しては一定の評価を与える一方で、
「中国の国情を考えるとチャイナモデルしかない。
西側の制度や価値観は中国には符合しない」
と言い切る学生が多いと感じます。
国内外で暮らす“中華民族”全体として見れば、そんな学生ですらリベラルに属すると言えるのかもしれません。
四川省出身のある男子学生は、
「自分たちは中産階級以上の家庭に生まれて、縁あって米国に来ることができた。
私たちのような人間が本国に帰り、中国のしかるべき発展に貢献していかなければいけない」
と語っていました。
ただここまでですね。
「中国も米国のような、自由で民主的な社会を実現するべきだ」
と公然と語る中国人学生に、私は米国滞在の2年10ヵ月で出会ったことがありません。
北岡:
戦前の日本でも、米国の自由はいき過ぎだと言った人も多いんですよ。
いまの中国は、体質的にも本質的にも、西洋的なさまざまな価値に対して拒絶的になっていると感じますね。
それは加藤さんのおっしゃる通りです。
■習近平のリーダーシップにしたたかさを見る
北岡:
中国は、外に対して何をしたいのでしょうか。
太平洋を二つに割っても十分な余地があると言いますが、冗談じゃない。
そんなことをしたら、日本は中国の勢力圏の中に入ってしまいます。
日本にとってのジレンマは、
中国に弱いリーダーがいると危険
だということです。
強すぎても困りますが、弱いよりはマシです。
日本が一定の存在価値を持ち続けて、議論しなければ仕方ありませんが、いちおうの対話はできますし、取引はやりやすい。
加藤:
私もそう思います。
これは仮説の域を出ませんが、米国で知識人の方々にインタビューするなかで、米国は心の底から中国の民主化を望んでいるのかという疑問が湧いてきました。
ハーバード大学で出会ったある学者は、「米国は天安門事件の最大の受益者だ」とすら言っていました。
北岡:
私は、こういうことも思うんです。
中国が少数民族弾圧をやめて、
揚子江流域の中原だけでまとまったとしたら、非常に強い国になる
のではないかと。
いまは、統治に莫大なコスト払っていますよね。
加藤:
私が付き合ってきた中国メディアの編集者は、ほとんどの時間を「何を書けるか」ではなく、「何を書いてはいけないか」に費やします。
当局の監視・規制の目を潜り抜けることに多くのエネルギーを取られてしまい、創造的に何かを生み出す行為に前向きになれないのが現状です。
仮に、知識人や文化人たち、そして学生たちがすべてのエネルギーや時間を前向きな行動、創造的な仕事に向けることができたら、中国は恐ろしい国になると思います。
それこそ、歴史的に花開いた百家争鳴の文化が蘇るかもしれません。
だからこそ、米国の戦略家たちは中国の民主化を恐れているのでしょう。
ある中国の学者の話によれば、習近平は、みずからを劉秀に重ねていようです。
歴代皇帝が困難に直面したときに問題をどう解決したかを学び、なかでも劉秀を強く意識していると聞いています。
中国が過去を意識すればするほど、また「百年恥辱」を意識すればするほど対外的に強硬的になる。
このロジックは、外の世界からすれば危険なことかもしれません。
北岡:
南シナ海にしても東シナ海にしても、国際法にチャレンジするようなことをしなくても中国はちゃんと発展できるはずです。
なぜそんな余計なことするのだと疑問ですね。
加藤:
やはり、国内経済の問題が大きいと思います。
株式市場の乱高下などに代表されるように、経済の低迷によって募った国民の不満を外に向ける必要があるのではないでしょうか。
最近、ワシントンで新華社通信や中国中央電視台(CCTV)の記者などとも議論をしましたが、国内問題、特に経済問題が噴出するときは、中国のリーダーは対外的に、特に海上戦略において強く出る傾向があると言っていました。
北岡:
もう一つは、政府は軍を必ずしも十分コントロールしてないことも挙げられる
と思います。
軍の支持を受けるために彼らを泳がせる、予算を出して好きなようにやってよろしいとしていることも考えられます。
周りの国は大変な迷惑です。
対外的なコミットメントはどうなのでしょうか。
南シナ海で滑走路にしてもそうですが、あんまり慎重ではありません。
彼らに言わせると、最高レベルは言葉を控えてると言うんですよ。
韓国はトップリーダーが悪口を言って回りますが、トップリーダーが言ったら変えられません。
中国はそこはしたたかです。
外務大臣クラスの発言であれば、トップリーダーが修正することができますからね。
加藤:
そのあたりは中国の指導者も深謀遠慮だと思います。
次回更新は、9月11日(金)を予定。
』
『
ダイヤモンドオンライン 2015年9月11日
http://diamond.jp/articles/-/78122
挑発もせず、譲歩もしない
事実に基礎を置くことで日中関係は前進する
——東京大学名誉教授・北岡伸一×加藤嘉一
★.対談の最終回★
■「侵略」「植民地支配」「謝罪」「反省」
の4つのみにフォーカスするのは愚か
加藤:
今年は、戦後70年です。
習近平政権の現在に考えをおよぼすと、反腐敗闘争などを主導しながら権力基盤を強化し、その過程で習近平本人にかなりの権力が集中してきた現象を見出せます。
一方で、対日関係という観点からすれば、習近平が対日関係をそれなりに重視し、みずからの意思で動いているように見えます。
北岡先生は、中国の対日政策をどのように評価されますか?
私は、日本といかに付き合うかという問題は、中国にとっては内政問題の側面が引き続き色濃く出てくると思っています。
なぜなら、中国共産党の正統性の首根っこをここまで掴んでいる国は他にないからです。
そのなかで、ただ単純に日中関係を安定させる、日本が利益を得るという視点ではなく、中国社会を長期的かつ健全に変えていくうえで、日本はどのような姿勢で臨むべきなのでしょうか?
北岡:
これは大問題ですね。
私は繰り返し言っていますが、4つのキーワードだけにフォーカスするのは愚な話です。
4つの内の2つは「侵略」と「植民地支配」です。
これは認識系の言葉です。
残りの2つは「謝罪」と「反省」です。
これはお詫び系の言葉です。
ニュアンスこそ時によって違いますが、中国は歴史を直視せよということを繰り返しています。
つまり、中国にとってより大事なのは前の2つだということです。
戦犯を裁いて領土を引き直し、賠償金を払うあるいは賠償放棄をすれば、
通常、戦争は終わりです。
それでもなおブレイムゲームを続けるのは、本当にやめてほしい。
ただ、中国はやめる可能性があると思います。
やめないかもしれないのは、日本のメディアと韓国です。
仮に中国がこの辺りでいいかと思っても、朝日新聞がわあっと文句を言うと、それに影響される可能性がある。
米国は、中国はヒストリーカードは手放さないと言います。
しかし、私は必ずしもそうは思いません。
中国に知識がしっかりと普及すれば、それはだんだんと変わってくると思っています。
私たちが日中歴史共同研究やったときの真の目標は、だいぶ先の話ではありますが、日中双方の立場を書いた副読本をつくりたいということでした。
この事件は日本でこう言われている。
一方で、中国ではこう言われています、ということを併記するのです。
歴史対話はやはりやるべきで、究極のところで両論併記型の近代史の副読本をつくり、みんなが読むようにすればいいと思います。
ただ、中国との対話やるときに難しいのは、政府と無関係な人を集めても仕方ないが、あまりに政府とべったりの人でも困るということです。
下手にやると、近代史を彩るのは日本の侵略と中国の抵抗だけだということになってしまう。
そんな近代史はないわけです。
それは長い目で融かしていくしかありません。
加藤:
私もまったくそう思います。
また、高校生や大学生など、若い世代が歴史認識を巡って対話や交流を進めていくことも未来投資という意味で重要だと考えます。
この手のプロジェクトに関しては、中国政府は監視することはあっても、取り組み自体を妨害することはしないように思います。
日中間で多角的な歴史対話が行われてこそ健全だと考えます。
■保守は礼儀正しくなければならない
北岡:
ご存じのように、中国は大国です。
大国であり、強者である。
「大国の皇帝とは寛大ではなければならない」という価値観を、
いちおう持っていると思うんですよ。
雍正帝だったと思いますが、
「われわれは大国だから、他国に対して過酷であってはならない」
と言っていますよね。
こうしたメンタリティは韓国は持ちづらいわけです。
韓国は大国ではありませんから。
日中が安定しなければ、当事者の両国だけではなく東アジア全体が困ります。
相互理解という言葉は少し軽いですが、根っこにあるのは他者あるいは他国に対する感受性、尊敬、受け入れる態度だと思います。
日本はよい国ですが、他者に対してまだ拒絶的な人が多いと思います。
この人まだ鎖国の時代を生きているのかなと思うことはよくありますよ。
そうではなく、他者は違っているからおもしろい。
自分と違い、優れた能力がある者には敬意を払う姿勢を持つべきだと思います
日本人の私が言うのはおかしいですが、サンフランシスコ講和会議に参加した中でもっとも素晴らしい演説をしたのはセイロンの代表です。
セイロンの代表は、
「われわれ日本を尊敬してる」
と言いました。
もう1つ、
「本当の平和は復讐心からは生まれません。
真の平和は愛情や相手に対する尊敬、そういうものを基礎にしなければいけない」
と。
韓国にも優れたところがあるし、中国にもある。
日本にもあるわけですよ。
そこにフォーカスして、優れたところを学ぼうと思ったほうが生産的です。
中国、韓国に限らず、日本でも一番困ってしまうのは偏狭な人です。
現在の状況を保守化というのはどうかという議論があったとき、私は
「保守というのは礼儀正しくなければならない。
言葉遣いが汚い保守はよくない」
と言いました。
桜田淳氏が、産經新聞の「正論」に
「私は天皇陛下の前で使わない言葉は使いたくない」
と書いていましたが、それと同じです。
ネット右翼を見ると、汚らしい言葉を並べて、それはもうひどいでものです。
ネットだけではなく、雑誌でもひどい。
また、相手の言い分にまったく耳を貸さないのも困ったものです。
たとえば朝日新聞の憲法論議もそうですが、自分の立場を正当化するために、相手の議論を歪曲することすらある。
護憲・改憲の議論のとき、「戦争を禁止した憲法9条を変えようとする人がいる」という言い方をしますが、戦争を禁止した9条というのは、9条1項なわけです。これを変えようとしてる人はあんまりいないんですよ。
一方で、9条2項があまりに非現実的なので、こっちを変えようという人はいる。
それを「9条1項を変えようとしてる人」とラベルを貼ってしまう。
もっと穏やかに、知に基づいて噛み合った議論をしましょう。
違った国の人にはそれなりに敬意を払いましょう。
過去のことは忘れないようにしましょう。
そういう基本的な姿勢で臨めばよいわけで、ブレイムゲームやアポロジーゲームはもういい加減にしたいと思っています。
加藤:
2008年5月、胡錦濤さんが訪日した後、東シナ海の共同開発を巡る日中合意ありました。
私は北京で情勢を眺めていましたが、合意発表の直後、中国国内では
「中国政府は日本の側の中間線を認めたのか!?」
という世論が急速に巻き上がり、日本に対して弱腰だと批判されることを恐れる外交部は、武大偉副部長(当時)を出してきて「認めていない」と主張しました。
それ以来、この合意を巡っては現在に至るまでほとんど進展がない状況です。
当時、私は中国のあるリベラル系のメディアに、「私個人の名義で、日本と中国双方の主張の違いを並列で載せたい」と伝えました。現場の記者には相当頑張ってもらいましたが、上からストップがかかり、結局「現段階ではそれは難しい」と断られた経緯があります。
北岡先生が先ほどおっしゃったように、とくに知識人やエリート大学生のレベルでは、少なくとも違いを知ったうえで議論をするというボトムラインを浸透させていく必要があると思っています。
ただ、現実的にはそれがかなり難しい状況がある。
北岡:
中国では難しいかもしれませんが、少なくとも日本ではできると思いませんか。
加藤:
日本はできると思います。
北岡:
日中歴史共同研究をやったとき、向こうがもっとも嫌がり、結局、削除したのは戦後篇です。
戦後篇なんて、なんてことはありませんよ。
中国も普段から「戦後の日本の支援に感謝する」と言っているわけです。
それを書いて何が悪いのかと思いますが、それは江沢民その他、現在まだ関係者がいて、現政府に影響するからできないと言われました。
そんなことをこれからもやるのは、もうやめてほしいですよ。
■挑発もせず、譲歩もせず、事実に基礎を置く
加藤:
最後に、中国民主化問題についてお聞かせください。
中国の将来的な政治体制を議論する際、中国の学者のなかに
「中国とて例外ではない。いずれは民主主義の方向に向かう」
と言う学者もいれば、米国の学者のなかに
「いやいや、中国は例外だ。中国は民主化しない。独自の体制のまま進む」
と言う人もいて、その見解は国内外で錯綜しているようです。
北岡先生はどのようにお考えですか?
北岡:
長期的には、政治体制の問題と、中国の国民がどう感じるようになるかということは別問題だと思います。
国民はすでに、政府は信用できないと思ってるわけですよ。
それは民主主義の基礎の1つだとも言えます。
中国の制度はいい、世界中はこれに倣うべきだと思っているわけではないでしょう。
中国のトップリーダーですら、世界の指導者になるつもりはないでしょう。
東アジア、あるいはアジアの指導者になれればいいわけです。
我々の常識からは理解しがたい面があるのも事実ですが、それも変わるとは思っています。
加藤さんはどうですか。
加藤:
少なくとも日本としては、
我々の常識が通用しないことを含めて、中国と付き合っていく辛抱と覚悟
を持たなければいけないと思っています。
米国にはその覚悟があると感じます。
日本では、希望的観測で「中国は民主化すべきだ」と言ったり、あるいは「民主化しない中国とは話もできない」と感情的になることが多いと感じます。
しかし、
中国にはどこまで行っても異端児的な側面があることを前提に対話の糸口を探らなければ、議論にすらならない
でしょう。
共存共栄はまたその先の話です。
北岡:
結局のところ、外交的には挑発も譲歩もせず、事実に基礎を置くしかありません。
約束は守るという基本的なことだと思います。
戦後70年の議論でも、お詫びに固執する人がいますよね。
お詫びをしてもいいけど、事実に反するお詫びをされては困る。
たとえば韓国に対して、日本は従軍慰安婦として少女を20万人連れていきました、という嘘を言ってはいけませんよね。
一時的に相手を満足させるだけで、そんなやり方では尊敬されないからです。
その意味でも、リーダーはしっかりと勉強して、事実から離れないようにすることです。
また、無理な要求をしないほうがいいのかなと相手に思わせる力も必要ですね。
なかなか難しいとは思いますが、それしかありません。
加藤さん、頑張ってください。期待していますよ。
加藤:
本日はお忙しいなかお時間をいただきありがとうございました。
』
『
中国民主化研究 加藤嘉一 著
定価:本体2,400円+税
ダイヤモンド社発行
発行年月: 2015年7月 取り扱い可能
判型/造本:46上製
頁数:544
ISBN:978-4-478-03923-6
内容紹介
2021年に創立100周年を迎える中国共産党。8000万を超える党員のトップであり、中国人民13億人の頂点に君臨する人物こそ、紅い皇帝・習近平である。習近平は、負の遺産を清算し、中国に変革をもたらすことができるのか。内政・改革・外圧という3つの視点から、中国民主化の行く末をひも解く。
』
【輝ける時のあと】
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