2015年9月15日火曜日

抗日戦争勝利70年記念軍事パレード(6):本気で「平和国家」としてのポジションを確立しようとして来ている

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 WEDGE Infinity 日本をもっと、考える  2015年09月15日(Tue)  富坂 聰 (ジャーナリスト)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5364?page=1

日本に取って代わる
「平和国家」の地位を狙う中国
軍事パレード前後の北京ルポ

 9月3日に行われた「中国人民抗日戦争勝利70周年」の記念式典。
 その目玉の一つ、閲兵式のため人工的につくり出された青空、いわゆる〝閲兵ブルー〟は80年代の北京の秋晴れを思い出させる完璧な晴天だった。

 「昨年11月にはAPECのための〝APECブルー〟が話題になりましたが、今回は世界陸上からの徹底した天候管理に加え、
 8月20日からは北京から遠く離れた山東省の工場まで一時的に停止させられました。
 しかも2299社という大規模な範囲でしたから、青空の質が違うと話題になりました。
 しかし、休業を強いられた工場には政府からの補償は一切なし。
 そのしわ寄せが労働者に向かい、現地では多少のもめ事も起きていたようですが……」(北京の夕刊紙記者)

■独裁的な社会主義国であることを人々に思い出させた

 〝閲兵ブルー〟を作り出した強引なやり方をはじめ、式典成功のために8月の末から中国が設けたさまざまな規制は、この国が依然、独裁的な社会主義国であることを人々に思い出させた。

 「交差点ごとに中国人民武装警察部隊の警官が立ち、警備に当たるという状況は市の中心部だけでしたが、郊外でもぬかりはない警備体制でした。
 例えば、人々の動向をうかがい、上に密告することが仕事であった居民委員会のOBたちが中心となってつくられた街道委員会のメンバーたちが、人々が寝静まった夜中にもグループで担当地域の見回りを行い、駐車されているすべての車の持ち主を確認する作業を丹念にやって回っていました。
 みなロボットのように党に忠実な人々ですから、不明な車が入り込む余地などありませんでしたね」(北京市の住民)

 パレード会場となる天安門周辺はさらに厳しい警備体制が敷かれていた。
 そのことは警備を担当する組織の多様さにも如実に表れていた。

 まず警備の中心を担う中国人民武装警察部隊(以下、武警)の隊員が天安門に近づくに従い増え、制帽・制服のスタイルから、迷彩服に小銃を持った兵士の数が多くなり、緊張感を高めてゆくのだ。

 次に目に付くのは胸に「中華人民共和国警察」のエンブレムを付けた公安だ。
 公安にはブルーのユニフォームと、真っ黒の制服の特別警察(以下、特警)があり、背中に英文字で「SWAT」と記された特警が一際強い存在感を放っているのがよく分かった。

 続いて頻繁に見かけるのが公安の下に置かれ、都市の軽微な治安維持や美化・管理などを担う城管である。
 水色と白のツートンに「城管執法」と書かれたパトロールカーのほか、原付にまたがる姿も多く見られた。

 このほか、普段は部隊に属しながら急きょ公安の下に派遣されて治安維持に当たるさまざまな組織が見つかる。
 驚くべきは、その組織の数の多さである。

 彼らはみな全身真っ黒なユニフォームだが、背中と肩に付けられたマークが違っている。
 「安AN BAO保」(肩に執勤)、
 「特TE QIN勤」(肩には国旗のマーク)、
 「保BAO QIN勤」(肩に国旗)
などがそれに当たるが、なかには
 「東城民兵」
と書かれたユニフォームもあり、このことは今回の警備には東城地区にいる退役軍人まで動員されていることを示していた。

 こうして市中心部から日常が消えてゆく動きのなか、
 8月31日から9月1日にかけて急速に都市機能が奪われてゆくことが感じられて驚いた。

 31日、早めに食事を摂っておこうと午後6時に王府井のデパートに入ったのだが、ツーフロアーに計40店舗ほど入っている飲食店はそのときすでに4分の3が閉店になっていて、残りの店舗も後片付けをはじめているという状態だった。
 営業しているのはわずかに2店舗で、そこに行き場を失った人々が殺到して黒山の人だかりができているのだ。
 もはや食べ物にありつくのは絶望的に思われたのだが、店員に尋ねると、
 「冷凍ものだけの注文なら時間はかかるが案内できる」
という説明だった。
 実は、もう数日前から北京には品物が搬入されてきていないということで、鮮度を求められるレストランは仕事にならないと早々と店を閉めていたということだった。

■パレード前日、強制的にホテルを変えられる

 実は私は、パレードが行われる前日の様子に興味があり、天安門からほど近い王府井のホテルを予約していたのだが、出発前に「9月1日から3日まで外出禁止になった」との連絡を受けた後、
 「外出禁止ではなくホテルの営業そのものができなくなったので、別のホテルに移動してほしい」
と強制的にホテルを変えられてしまっていた。

 新しいホテルは東長安街の建国門外にあり、場所は天安門には近い。
 推測するに当局の意図は「第2環状線から外に出ろ」ということだと思われた。
 つまりパレードには近づけないが、第2環状線の外側は比較的日常が保たれるという理解であったのだが、ホテルを変わった翌2日、都市機能はほぼ全市で止まってしまうのだ。

 2日からは飲食店を含めすべての店舗が休業。
 しかも入り口の門扉が鎖でつながれた上に紙で「封」まで貼られる始末なのだ。
 こうした街の変化を受けて、普段は人であふれたストリートからはほとんど人影が消えてしまったのだ。
 ホテルの窓から見える街には、水色のポロシャツを着た「首都治安志願者」のメンバーだけという異様な光景となっていたのである。

 9月3日の当日には、経済活動の隙間はなくなっていたので、もはやテレビで軍事パレードを観るしかないといった状態だった。
 そのこともあって北京の人々はみな軍事パレードを楽しみ、評判も概ね良好であったと思われる。

 軍事パレードで紹介された最新兵器は、「アメリカに向けられたもの」との分析が目立ったが、パレードに出すラインナップは半年以上前からインターネットに写真付きで挙げられ(政府公認ではないが)ていて、閲兵式の半月ほど前からは、パレードの順番も含めてすべて正確なメニューがメディアを通じて報じられていたので、当日に大騒ぎするような話でないことは指摘するまでもない。

 軍事パレードに先立つ習近平の重要講話では、中国共産党という言葉ではなく「人民の勝利」としてこの式典と歴史の整合性を保っていたことが前半の印象としては深く残ったが、講話の中心が後半にあったことはあらためて指摘するまでもないだろう。
 かねてより私はこの式典を「(日本との)和解の場とする」意図があることを書いてきたが、当日は「平和国家としての中国」をアピールする場所としてきたようだ。

■本気で「平和国家」としてのポジションを確立しようとして来ている

 日本のメディアが反応した「兵士30万人削減」は、そもそも非戦闘員(とくにターゲットとなっているのは軍系病院と軍所属の歌舞団)で、いわゆる各国政府の出す経済対策のように中身のないリストラだが、それでもこの情報をわざわざこの重要講話に入れ込んでくる戦略には驚かされた。
 それは中国がかなり本気で「平和国家」としてのポジションを確立しようとして来ていることでもあるからだ。

 さらに過去に繰り返してきた「覇権に陥らない」という文言に加えて、最近使い始めた「拡張しない」という言葉をこの講和に盛り込んできたことにも大きな意味がある。
 そして最も重要なことは、平和実現に向けた中国の取り組みとして国連の価値観を重視することを強調してきた点だ。

 これは「国連憲章に署名した国は基本的に戦争はしない」という価値観に寄り添う、ある種の決意表明とも受け取られる。
 自衛のための戦いを否定していないという点でも日本の憲法第9条(解釈も含めての話だが)にも通じる考えだ。
 もちろん何を持って「自衛か否か」の判断には大きな隙間があり、また中国が自国の軍備をその価値観に適合させる努力をするとは考えられない。

 だが、価値観の戦いにおいて、中国がさらにその歩みを一歩前に進めてきていることは明らかだろう。
 隙あらば、日本がこれまで築いてきた「平和国家」としての地位に中国が取って代わろうとする戦略なのかもしれない。



ダイヤモンドオンライン  2015年9月15日 加藤嘉一
http://diamond.jp/articles/-/78490

中国「抗日軍事パレード」から透けて見える6つの問題点

■「仕方ない、ここは北京ですから」
閲兵式をひかえた市民たちの本音

 2015年9月2日お昼すぎ、北京の天安門広場から約10キロ離れた北三環路付近にあるモンゴル料理屋に入ると、真っ暗な店内にぽつりと立っていた女性の店員から「今日は営業しません」と告げられた。
 理由を尋ねると、
 「明日午前、北京では閲兵式があります。
 前日のお昼、夜、当日のお昼まで休みで、夜から通常営業になります」
 このように回答してきた。
 閲兵式は軍事パレードとも呼ばれる。

  「3食分も休まなければならないとなると、お店の収益にも少なからず影響が出るでしょう。
 大丈夫ですか?」
 私は続けてこのように問うた。
  「ここは北京ですから」
 仕方がないといった面持ちであった。
 北京は中国共産党政権にとっての総本山であり、ここでは何よりも政治のロジックと必要性が重んじられるという意味であろう。
 この店員によれば、北京当局は前日と当日のお昼まで休業するように“通告”してきたのみであり、相談の余地はなく、
 かつそのせいで生じ得る損失に対する補助金も一切払われないとのことであった。

 同日夜、北三環路の片隅に身を寄せていた私は、閲兵式を約14時間後に控えた北京の街々が真っ暗に染まっていく雰囲気を感じていた。
 公道を一緒に歩いていた中国の知人は、
 「ここで経済は重要じゃない。
 心境は様々だろうが、皆共産党の言うことを聞くのだ」
と呟いていた。

 空を見上げると、星々がいつになく輝いていた。

■「抗日戦争勝利」から70年、閲兵式で目にした元老たちの姿

 9月3日午前、青い空と白い雲に包まれた北京で閲兵式が開催された。
 私は北京市内のテレビ画面でその模様を観ていた。
 本稿では、中国共産党が“中国人民抗日戦争兼反ファシズム戦争勝利70周年記念式典”と題した舞台のなかで敢行した閲兵式を眺めながら、私が注目したケースを6つ取り上げ、そこから導き出されるインプリケーションにも踏み込んでみたい。
 本連載の核心的テーマでもある
 中国民主化研究とはすなわち中国共産党研究
であり、共産党の動向を追跡する意味において、“9.3大閲兵”は貴重なケーススタディになるはずである。

★.1つ目が中国共産党の“高層政治”についてである。
 閲兵式に際して、中国共産党の指導者や海外から出席した首脳陣が天安門上に登ったが、そこには“現役”の国家指導者たち以外に、中国共産党の最高意思決定機関を構成する政治局常務委員を経験した元老たちの姿もあった。
たとえば、
 江沢民、李鵬、曽慶紅。

 習近平総書記が就任以来目玉政策として反腐敗闘争を進める過程において、幾度となく議論の対象となってきた大物政治家である。
 三者のファミリーやネットワークがどこまで切り崩されるのかという問題は、反腐敗闘争がどのくらい深い領域まで浸透するのかという謎と同義語であり、その意味で、この三者が抗日戦争勝利70周年という記念式典において“健在”していたことは、1つのファクトとして見るべきであろう。

 とりわけ、89歳になった江沢民元総書記の“元気な姿”は印象的であった。
 私には、習近平が江沢民、そして前任者である胡錦濤元総書記に対して一定程度気を遣っている政治の空気が感じられた。
 総書記就任以来、80人以上に及ぶ中央次官級・地方副省長級以上の高級官僚を“落馬”させていた習近平であるが、最近では、「なぜ自分に近い人間は落馬させないのだ?」といった不満や批判の声も共産党体制の中から聞こえてくるようになっている。

 権力闘争を相当程度固めてきたとされる習近平でさえ、いつ、どこで“政敵”から足元をすくわれるかは定かではなく、これまで以上の慎重さとバランス感覚で党内の安定と融和を推し量っていかざるを得ない状況にあると言える。
 江沢民・李鵬・曽慶紅の健在ぶりと、
 江沢民・胡錦濤に対して遣っていた気は、習近平が決して独断的に共産党政治をリードしていけるわけではないという真実を物語っているようであった。

 ちなみに、凛とした表情で、背筋をピンと伸ばした温家宝元首相は、相変わらず、といった様子であった。

■閲兵式の主な目的が“抗日”であることを示す2つの観点

★.2つ目が“抗日”に関してである。
 閲兵式が開催される前夜、北京をはじめとする論壇では「“9.3大閲兵”は対日本なのか?」という議論が広範に展開されていた。
 体制内にいるか体制外にいるかは問わず、大部分の知識人たちは「閲兵式は日本に向けたものではない。
 大国として発展する中国が抗日戦争に勝利した歴史を胸に刻み込み、前を向いていくためのものだ」という論調で語り合っていた。
 そこには、中国の大国意識というよりは、日本との関係を重視する共産党指導部の意向も一定程度反映されていたように私には思われる。

 一方で、2つの観点から閲兵式の主な目的と背景が“抗日”にあることは否定しようがないようにも思われる。

◆.1つが、2014年2月27日に全国人民代表大会常務委員会が採択した「毎年の9月3日を中国人民抗日戦争勝利記念日とする」という決定を共産党指導部が行った翌年の閲兵式を、同日に開催したという事実である。
 仮に閲兵式の重点を“抗日勝利”よりも“国威発揚”に置くのであれば、9月3日ではなく、中華人民共和国建国の記念日である10月1日に開催するのが筋というものであろう。
 ちなみに、今回の閲兵式以前、中国が建国以来行ってきた14回(1949、1950、1951、1952、1953、1954、1955、1956、1957、1958、1959、1984、1999、2009)に及ぶ閲兵式は、すべて10月1日に行われている。

 もちろん、式典そのものの名称と意義が“中国人民抗日戦争兼反ファシズム戦争勝利70周年記念式典”にあったことを顧みれば、このイベント自体を9月3日に行うのは中国共産党からすれば“必然”であろうし、海外の首脳が“集結”した舞台で同時に閲兵式を行うことで、お披露目した兵器の8割は初公開という中国の最新の軍事力をデモンストレーションしたかったという下心はあったのだろう。
 その意味で、“抗日勝利”と“国威発揚”という2つのファクターは“紅い糸”で密接につながっていたと言える。
 換言すれば、中国共産党は、国力を誇示する際には、引き続き抗日→建国→発展というロジックを持ち出してくるということでもある。

◆.2つに、私は閲兵式の早朝から中国中央電視台(CCTV)の“抗日勝利70周年”特集番組を観ていたが、そこには同戦争に参戦した老兵たちのコメントを含め、日本がいかに中国に対して残虐なことをしたか、それに対して中華民族がいかに抗戦したかという“歴史”が赤裸々に、繰り返し描かれていた。
 9月6日、私は一旦北京を離れるべく首都国際空港に居たが、空港内のテレビで流れていたCCTVの番組では、式典から数日が経過しているにも関わらず、依然として抗日戦争勝利70周年の番組が放送、あるいは再放送されていた。
 これだけ大規模に“抗日”がプロバガンダされれば、中国人民の間で“抗日”の意識が蔓延するのは阻止できないと思ったものだ。

 ちなみに、中国の人々が日常コミュニケーションに使用するSNSであるWe chatでは、
 「国家が抗日戦争勝利を記念する前後3日間は日本へ観光に行くな!」
といった呼びかけもなされていた。
 私は2005年や2012年に中国全土で巻き起こった“日貨排斥”運動を不意に思い出していた。

◆ロシアと韓国に見る出席の思惑、
戦略的に距離を置いた米国の強気

★.3つ目が対外関係である。
 中国外交部が8月25日に発表した統計によれば、今回の閲兵式には合計49ヵ国の代表(うち、アジアの首脳14名)が出席するとのことであった。
 その後、中国メディアは「招待した国家のうち、日本とフィリピンだけが来ない」というニュースを広範に流していた。
 米国の同盟国という観点から“米国陣営”を世論的に牽制する動きのように私には映った。

一方、主要国と言われる国家の首脳が出席したのは、ロシアのプーチン大統領と韓国の朴槿恵大統領のみであった。
 フランスは外務大臣を派遣したが、その他の西側先進国は日頃から北京にいる駐中大使のみが出席した米国を筆頭に、実質的に9.3大閲兵を“無視”した形となった。

 CCTVの画面を眺めながら、私は共産党指導部があまりにも露骨にプーチン大統領と朴槿恵大統領をクローズアップする光景に違和感を隠せなかった。
 習近平と並んで歩いたり、笑顔で雑談する様子が度々映し出されたプーチンに関しては、“中ロ接近”という地政学的現状が前面に押し出されているし、朴槿恵に関しては、中国が経済力に依拠して韓国を“取り込んだ”という側面が濃厚に炙り出されていた。

 まるで、中国に寄り添ってくれるお友達はロシアと韓国しかいないかのように。

  「西側の主要先進国の国家指導者が出席せず、
 プーチンと朴槿恵をあそこまで露骨に目立たせた背後には、
 国際社会での孤立を恐れる我が国指導者の危機感がにじみ出ている

 中国共産党内でイデオロギー工作を担当する幹部は、私にこのように語った。

★.4つ目が対米関係である。
 前述のように、オバマ大統領率いる米国政府は、大統領はおろか、特使すら閲兵式に派遣しなかった。
 中国にとって、同じ“戦勝国”として“反ファシズム戦争”を闘った米国は“同盟国”であったはずなのに、そんな式典に米国は興味を示さなかった。
 それどころか、戦略的に距離を置いていた。
 中国の人々たちの言葉を借りれば、メンツを与えなかった。

 この事実は、中国の対米政策・関係という観点からすれば大いなる不安要素あり、
 とりわけ米国が中国共産党の歴史認識・解釈や政治・イデオロギー工作には乗らないという現状、
 そして米中協力・連携はあくまでも経済貿易、人文交流、環境政策といった
 機能的な分野に限定して進めていく展望を、露呈している
ようであった。

 9月下旬には習近平国家主席の米国公式訪問が控えるなか、米中間では訪問時の首脳会談や協定締結などを巡って水面下で攻防が繰り広げられている。
 今回のホストは米国側であり、習近平国家主席の米国滞在期間中に然るべき厚遇を獲得すべく、中国側が米国側に対して懇願するという構造が直近の両国間外交交渉には横たわっている。
 そのような優勢下において、米国側は自らの意思をはっきりと示したとも言えるだろう。

◆そもそも抗日戦争を領導したのは共産党ではなく、国民党ではなかったか?

★.5つ目が台湾問題である。
 中国が閲兵式を開催する前日、同じく“抗日戦争勝利70周年”に際する談話を発表した台湾の馬英九総統は、次のような発言をしている。

 「近年、“だれが抗日戦争を領導したのか”という問題が国内外の焦点となっている。
 中国共産党はこれまで自らが抗日戦争を領導したこと、共産党軍が“中流砥柱”(筆者注:堅固で支柱の役割をする人や集団を指す。
 “砥柱”とは黄河急流の中にある山の名前。
 抗日戦争期間中、毛沢東が「共産党が領導する武力と民衆は抗日戦争の中流砥柱となっている」と主張したのが由来とされる)だったことを自称し、当時の国民政府が全国軍民による8年の抗戦を領導した歴史と貢献を軽視している。
 我々はそれを非常に遺憾に感じてきた」

 「中国共産党が抗日戦争に参加したことを我々は一度も否定していないが、中国共産党が主導的な地位ではなく、補助的な地位にいたこともまた事実である」

 「歴史の真相は1つである。
 抗日戦争は国民政府の蒋介石委員長が全国軍民の厳しい闘いを領導した成果だということだ」

 しかしながら、中国共産党のマウスピースとされる中国中央電視台(CCTV)の特集報道では
 「抗日戦争の勝利は中国共産党による正しい領導によってもたらされた」
という点を大々的に強調していた。
 閲兵式の前後にも、中国世論では同様の論調が支配的で、たとえば7月22日、中国人民解放軍機関紙の解放軍報は“中国共産党による中流砥柱の作用は抗日戦争勝利の決定的な要因であった”という文章を、9月12日、党機関メディアの中国共産党歴史網は“中国共産党の中流砥柱の作用を深く認識すること”という文章をそれぞれ掲載している。

 10年前の2005年9月3日、胡錦濤総書記(当時)は“抗日戦争勝利60周年”談話にて、「中国国民党と中国共産党が領導した抗日軍隊は、それぞれ正面戦場と敵後戦場の作戦任務を担い、共同で日本の侵略者の戦略態勢に対する反撃を形成した」という歴史観を披露した。
 これに対して、前出の馬英九談話は
 「大量の史料が公開されるに連れて、抗日戦争期間中、正面・敵後を含めて、国民政府が終始領導的な地位にあったという歴史的事実が明らかになっている」
と胡錦濤談話をピンポイントで牽制している。

 ここで私が主張したいことは、当時の日本との闘いを巡って、中国共産党と中国国民党、もっと言えば、中国と台湾の間には明確な認識ギャップが存在しているということだ。
 このギャップが中台関係の未来にどのような影響をおよぼすのかを巡って、私は台北と北京にて、それぞれの関係者に話を聞いたことがある。

 「共産党が国民党の領導的地位を認めず、改ざんした歴史をプロバガンダし続ける限り、両岸関係の根本的な進展は難しく、“統一”などあり得ない」(台湾総督府幹部)

 「我が党の指導部も自らが歴史を曲げていることはわかっている。
 ただ、共産党による領導的地位をプロバガンダしてきた経緯から、今さらにそれを“間違っていました”というわけにはいかない事情がある。
 将来的に台湾との統一を図るのであれば、台湾側の立場と主張を尊重する形を取らざるをえないだろう」(共産党関係者)

◆習近平は“宣伝システム”を巡る権力をまだ掌握できていないのでは?

★.6つ目が、共産党のプロバガンダに関してである。
 習近平総書記が閲兵式で行った談話は、胡錦濤前総書記が10年前に行った談話とは異なり、中国共産党と中国国民党どちらが抗日戦争を領導したかには言及せず、主語を“中国人民”としていた。

 私には、台湾との関係や国民党の存在、及び全世界が注視している閲兵式という場面に配慮した習近平なりのバランス感覚であるように思われた。
 一方で、この習近平談話と前出のCCTVによる特集報道や党機関メディアによるプロバガンダとは、比較的顕著なギャップが存在する。

 このギャップはどこから来るのであろうか?

 単刀直入に言って、私自身は、習近平が党内におけるイデオロギー・プロパカンダを含めた“宣伝システム”を巡る権力・権限を掌握できていない現状に、その原因を見出している。
 習近平政権の第一期の宣伝システムを統括するのは劉雲山政治局常務委員・元中央宣伝部長と劉奇葆現宣伝部長であるが、この2人が主導している宣伝システムは習近平の思惑どおりに機能しておらず、習近平が意図しないトーンで宣伝部が暴走するケースも目立つとされる。
 私から見て、今回の閲兵式におけるプロパガンダや、少し前に日本でも話題になった党機関紙《光明日報》によって作成され、国営新華社通信によって配信された、日本の天皇に対して“謝罪”を要求するような記事(8月26日)は、その典型である。

 軍部同様、宣伝システムを掌握することは共産党政治にとっては核心的に重要とされてきたが、習近平やその親族をよく知る太子党関係者は次のように私に語る。

 「軍部における権力基盤をほぼ掌握したいま、
 習近平はこれから宣伝システムにおける権力の掌握に乗り出している」

 特に対日関係を巡ってその機能や問題点が浮き彫りになってきた宣伝システムを、習近平がどのように、どこまで掌握するかという問題は、中国の国家イメージや共産党にとっての政策の幅を左右していくに違いない。

 2015年4月~8月、合計10の省・直轄市・自治区における宣伝部長が異動している(湖北、広西、青海、吉林、四川、陝西、天津、上海、チベット、広東)。
 習近平が宣伝システムを動かそうとしている1つの根拠として、注視すべきであろう。



JB Preee  2015.9.30(水) 阿部 純一
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44849

「軍権掌握」を急ぎすぎた習近平
30万人兵員削減の宣言は大きな失態?


●中天安門広場で行われた抗日戦争勝利70年を記念する軍事パレードに登場した新型対艦弾道ミサイル「DF-21D」(2015年9月3日撮影)。(c)AFP/GREG BAKER〔AFPBB News〕

 中国政治を語るためには、過去と現在を照らし合わせる作業が必須である。
 習近平はなぜ、前例のないシチュエーションで軍事パレードを実施したのか。
 なぜ、30万人の兵員削減を約束したのか。歴史的先例にならい、分析することにしたい。

■軍事パレードと兵員削減で軍権を確立した鄧小平

 先例は鄧小平にある。鄧小平が軍事パレードを閲兵したのは1984年の国慶節で、100万人の兵員削減を宣言したのは1985年であった。

 軍事パレードは、建国35年を祝う名目であったが、中途半端な印象は拭えなかった。
 いずれにせよ、軍事パレードにおける閲兵と、兵員削減の大鉈を振るうことで鄧小平の軍権は確立した。

 鄧小平が党内での実権を掌握したのが1978年12月の党11期3中全会であるとすれば、
 軍の掌握に5年以上を要した
ことになる。
 もともと軍を権力基盤にしていた鄧小平にとっても、軍権の掌握は容易なことではなかったことが分かる。

 習近平は、政権に就いてわずか3年で鄧小平の前例に並びかけている。
 その間、反腐敗キャンペーンで徐才厚、郭伯雄という2人の前中央軍事委副主席を汚職容疑で立件するなど、強引ともいえるやり方で軍へのコントロールを強めてきた。

 国慶節以外では前例のない軍事パレードを、「抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70周年」を名目に実施し、パレード当日のスピーチで30万人の兵員削減を明言したことで、表向きは鄧小平と肩を並べたように見える。

 しかし、内実は「軍権掌握」を確実なものにしたと言えるかについては疑問符がつく。

 習近平は国産最高級車「紅旗」の車上で閲兵するにあたり、左手で敬礼するという失態を演じたが、軍務経験のある習近平にしては考えられないミスであった。
 いや、ミスというよりも、緊張のあまり利き腕の右手で体を支えるのが精一杯だったのかもしれない。

 習近平の緊張ぶりは、軍事パレード実施に際しての過剰なまでの警備態勢からも推察できる。
 ロシアのプーチン、韓国の朴槿恵など外国元首、要人を来賓として迎えるなかで、不測の事態を防ぐため、徹底した警備態勢を敷くことは当然のことだが、それに加え、習近平自身の身の安全にも万全を期す必要があった。
 それは、これまでにも習近平に対する暗殺未遂の案件が複数指摘されていることを考えれば首肯できる。
 それでも、短時間とはいえ、車から上半身を露出して行う閲兵は、狙撃される可能性を考えれば習近平にとって生きた心地がしなかったはずだ。

■「米国に対抗できる」軍事力をアピール

 習近平が軍事パレードの実施を決めたのは2014年末のことだとされている。
 2014年11月の北京で開催されたAPEC総会における米中首脳会談の後で、今年秋の習近平訪米招請の打診がなされていたと想定すれば、軍事パレードは訪米を意識したイベントであったとも言える。
 実際に習近平の国賓としての9月訪米が決まったのは2015年2月だが、訪米がこのときに突然降って湧いた話であるはずがない。
 同時に習近平にとって、9月訪米と創設70周年を迎える国連総会へ出席し演説するというイベントを組み合わせれば、この軍事パレードの意味が浮き彫りにされる。

 中国が第2次大戦の戦勝国の主要メンバーであり、安保理常任理事国である権利を持つことの正当性をアピールし、かつ米国に対しては習近平の主唱する米中の「新型大国関係」を米国に明確に受け入れさせるために、中国の軍事力が米国に対抗できるものであることを内外に示す必要があると考えたのであろう。

 今回の軍事パレードは中国の「国産新兵器」のオンパレードだった。
 なかでもメディアの関心を引いたのが新型の弾道ミサイルである。
 射程1000キロメートルで沖縄を射程に収めるDF-16短距離弾道ミサイル、
 空母キラーと呼ばれるDF-21D対艦弾道ミサイル、
 射程4000キロメートルでグアムの米軍基地を射程に収め、かつ対艦攻撃も可能とされるDF-26中距離対艦弾道ミサイル、
 弾頭をMIRV(複数個別誘導再突入弾頭)化したDF-5B大陸間弾道ミサイル
などがパレードの隊列に加わっていた。
 しかも、ご丁寧にミサイルの側面にDF-16等々の白色の印字が施されていたせいもあり、識別が容易であった。
 ミサイルの種別を示す印字は今回が初めてではないが、網羅的に表示されたことはなかった。

 上述したミサイルは、いずれも米国を意識した戦力である。
 とりわけ初登場となった
 DF-21D対艦弾道ミサイル、
 DF-26中距離対艦弾道ミサイル
は、西太平洋における米国海軍の優位を脅かす存在として注目された。
 特にDF-21Dについては、米軍はIOC(初期作戦能力)を獲得したものと評価し、警戒を強めている。
 DF-26については、米軍がどう評価しているかはまだ明らかではないが、通常弾頭も核弾頭も積めるという性格から、戦術目的にとどまらず戦略目的にも使用可能なミサイルという位置づけなのであろう。

■軍事パレードにどれほどの対米効果があったのか

 このような中国のミサイルは、言うまでもなく西太平洋における米国海軍の行動を制約し、中国大陸への接近を阻止しようとするものである。
 とりわけ中国が想定しているのは、台湾有事の際における米国海軍の介入阻止であることは疑いない。

 しかしながら、本質を突いた議論をすれば、
★.中国の対艦弾道ミサイルに代表される兵器は、
 海上戦力において米国に対抗することができないために作られた窮余の兵器であり、
 非対称戦略の典型例である。

 非対称戦略がうまくいく場合もあり得る。
 米海軍が警戒し射程内に空母を入れなければ効果があったことになるからだ。
 しかし、それに伴うリスクもある。
 例えば、弾道ミサイル発射を探知できる早期警戒衛星を運用しているのは米国だけだが、発射されたミサイルの弾頭が通常弾頭か核弾頭かの区別はつかない。
 DF-21やDF-26は核弾頭装備の可能性があるだけに、米軍が反射的に核ミサイルで応戦する可能性があることは否定できない。

★.圧倒的に地上配備のミサイルに核抑止を依存している中国は、先制核攻撃に極めて脆弱である。
 米軍がそのことを中国に十分に警告し、知らしめすことができるなら、
★.中国は安易に弾道ミサイルを発射できなくなる。
 核戦力の規模で言えば、米国は中国をはるかに凌駕し、その差は容易に縮まるものではない。

 よって、米国では中国のDF-21D対艦弾道ミサイルに関し、一定の警戒感は持つものの、そのために行動が制約されてもやむを得ないなどという議論にはなっていない。
 中国の軍事パレードの対米効果はその程度のもの
であろう。

■具体的な構想がない30万人兵員削減

 習近平が軍事パレードの場で30万人の兵員削減を掲げたのは、軍事力強化に邁進する中国というイメージをトーンダウンさせるための「平和愛好国家」アピールの側面があることは否定しようもない。
 それは訪問する米国へのメッセージにもなるし、習近平がいよいよ「軍権掌握」を固めたことを明示することで、自らの権威付けにもなる。

 しかし、それ以上に、2013年11月の党18期3中全会で打ち上げた“改革の全面深化”の一環として提示された軍における改革を推進するにあたって、「贅肉を削ぎ落とす」意思を明確にしたことになる。
 中国国防部は、30万人削減を2017年末までに遂行するとしている。
 それによって、習近平の「軍権掌握」が強固なものになるのは間違いない。

 しかし、その具体的な内容やプロセスは明らかにされていない。
 そこが問題なのである。
 要するに、習近平の軍事改革は30万人兵員削減に伴う具体的な構想が出てきていない
のだ。

 1985年に鄧小平が100万人兵員削減を決定したとき、同時にこれまでの11大軍区を現在の7大軍区に整理統合している。
 また、従来の軍団を集団軍に再編し24の集団軍に集約した。当時の人民解放軍は総員400万の大所帯で、階級制度もなければそれに伴う定年制もなかった。
 文化大革命時代に軍が行政部門まで関与せざるを得なかったため肥大化を余儀なくされたわけだが、鄧小平は軍をスリム化し戦える軍隊に再編しようとしたのだった。

 習近平政権も中国の直面する安全保障環境と国防戦略に照らし、軍事改革を目指しているはずである。
 現に、7大軍区を改変し、4つの戦区に統合するとか、利権の絡む総後勤部や総装備部を国務院の行政部門である国防部に統合し、党(人民解放軍は党の軍隊)も関与するといった議論も中国のメディアには出ている。
 軍の教育機関を整理統合し、関係する人員をすべて文官にするとか、軍に所属する歌舞団など非戦闘要員を整理するという人員削減策も同様に垣間見られる。

 しかし、そのどれも正式決定されているわけではない。
 国防部が2017年末までと削減の期限を切ったからには、すでに削減のプログラムがあるはずだ。
 しかし、それを明らかにしないのは、まだ公にできない理由が存在すると思われる。
 それにもかかわらずなぜ習近平は早々と30万人兵員削減を打ち出したのか。

 具体的な方針なり対応が提示されていないなかで、30万人兵員削減を先行して打ち出したことによって生じる人民解放軍内部での疑心暗鬼が、今後の政策推進に大きな抵抗となって立ちはだかる可能性がある。
 鄧小平のように時間をかけ周到に練った人員削減策でないとすれば、「軍権掌握」を誇示することを焦った習近平の大きな失態であり、「軍権掌握」はむしろ遠のいたと言わざるをえない。




【輝ける時のあと】


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